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歴史
100年の歴史(1899年から1999年まで)
ICNはあらゆる困難に対し、それ自身が「特別な接着剤」となり団結し、看護の専門性への貢献と、国際性への関与をもって、この100年を生き延び繁栄してきた。
ICNは女性の権利、社会的権利、ヘルスケアの改革がせわしなく交差する中で生まれ育った。看護の概念やその基本的必要性は家族や種族と同様古くからあるが、専門職としての看護の組織化が行われたのは19世紀の終わりであった。そしてそれは、ほんの一握りの女性達により看護に新しい次元をもたらした偉大な社会的変化であった。
ICNを創立した看護師達は、女性に関する国際的な動向にも深く関わっていた。その活動は、女性の権利のための闘争と、ICNの将来を考える創始者たちを結びつける看護の組織化の進展との、わくわくするような混合であり、保健専門職と女性のための世界初の国際的組織として誕生を遂げた。
[ ICN創始者たち:Ethel Gordon Fenwick (イギリス)、Lavinia Dock (アメリカ)、Agnes Karll (ドイツ) ]
国際的な種を撒く
シカゴの万国博覧会で開催された"1893年世界婦人代表者会議"がICN創立のきっかけとなった。「あの時、国際的に看護を動かす活力に満ちた種が撒かれたのです」とエセル・フェンウィックは語っている。その種は1899年までに芽を出し、フェンウィックは様々な国の看護師に声をかけ、国際的な看護組織に団結するよう求めた。1年後ICNの定款が承認され、フェンウィックは会長に選出された。
ICNのヴィジョン
これら先見性のある看護師達はICNを、国の統制から離れ、看護師だけを代表し、かつ看護師により統治される各国の看護師協会の国際的連盟であると見立てた。
創立から5年を経た1904年、ICNはベルリンで会議を行った。この時、ドイツ、イギリス、アメリカ合衆国の3ヶ国がICN定款のもとに団体として加盟し、またオーストラリアが会議に参加するようになった。まもなく、遠い日本の看護師がこの新しい発想に関心を寄せ、ICNの会議に参加し始めた。この時点のICNには、資金や事務所もなく、ときには会員協会間の郵便や電信による連絡がひどく遅れることもあった。参加者の会議参加や業務遂行は私費で賄われたが、それでもなお会員は増え続けた。
ヨーロッパでの戦争が影を落としていた頃
1914年から1918年の戦争でヨーロッパが荒廃し、世界にも衝撃を与えた。看護師達は戦場に動員され、デンマークのヘニー・ツエルニング会長率いるICNの看護師達もただ耐えるしかなく、亡くなり離れ離れになった仲間を想い悲嘆にくれていた。ツエルニング会長がコペンハーゲンにICNのリーダー達を集め、組織と使命をまとめ始めたのは1922年になってからのことである。
この低迷期に会長となったフィンランドのソフィー・マンネルハイムは、ICNのリーダーとして適任であった。彼女は、戦後の世界の看護を先導しようとする赤十字社連盟の影響を避ける努力をするとともに、世界中の看護師のつながりを強化した。1922年にICN初の有給専務理事となったデンマークのクリスチアーネ・ライマンも、同様に非常に重要な役割を担っていた。数ヶ国語が話せ書くことのできる有能な看護師であったライマンは、ICNの目的達成のために自身の財産を快く貸し出し、多くの各国看護師協会(NNAs)にICN参加の意義を説くため、世界中を旅して回った。彼女の行動は、看護師のための教育プログラムを確立し、1922年にICN加盟した中国を含む多くの国々においてNNAsの創設を促した。
1930年代も終わりに近づき、戦争再発の炎が立ち始めた。ICN創立時の会員協会であるドイツ看護師協会は、国家社会党(ナチス)により解散させられ、イタリア看護師協会も同様であった。1939年に戦争が勃発し、ヒットラーが西に侵攻、ロンドンのICN本部も攻撃を受けやすい状況にあった。そこでエフィー・テイラー会長は荷物をまとめ、アメリカ、ニューヘブンのイェール大学内の自身の事務所にICN記録文書と事務所を移した。3年後、ICNのロンドン事務所は爆弾により破壊された。戦時中、ICNは記録文書を保管し、新たな場所で看護業務ができるよう支援することにより、行き場所を失った何千もの難民となった看護師を救った。
戦後のうねり
1947年、ICNは再び国際看護師会議を行った。アメリカ、ニュージャージー州のアトランティックシティに、スウェーデンのゲルダ・ヘイエール新会長が6500人の看護師を迎えた。再開と再起の精神のもとICNは再び歩み始めた。加盟委員会は、中東、ラテンアメリカおよびアフリカのNNAsに対し新たに加盟、あるいは再加盟するよう連絡をとった。1957年までに、17の準会員と合わせ会員協会は46となった。新しく加盟した協会より、ICNの真の国際性が明らかになった。それまでに加盟した国は、ハイチ、韓国、トルコ、チリ、セイロン島、ジャマイカ、ルクセンブルク、パキスタン、スリランカ、トリニダート・トバゴ、ザンビア、南ローデシア(ジンバブエ)、バルバドス、コロンビア、エチオピア、イラン、リベリア、マレー半島(マレーシア)、パナマ、ウルグアイ、ユーゴスラビアであり、またイタリア、ドイツ、オーストリア、日本は戦後、再加盟した。
1965年、ICNはスイス、ジュネーブに再び居を移し、その国際的活動を広げることが可能となった。国連やWHO(World Health Organization / 世界保健機関)とはすぐに協動し、また、雇用問題についてICNは公式に看護師を代表することからILO(International Labour Organisation / 国際労働機関)との関係を強化した。国連やWHO と協働することで、国際的な活動を促した。アフリカ、アジア、南太平洋、ラテンアメリカの地域において女性の就業における経済や条件の変化は、各国の看護師協会設立に向けた看護師の能力を高め、ICN加盟への一助となった。
とはいえ、ICNへの冷戦の影響も大きかった。戦後、ロシアおよびソビエト圏の会員協会はどこもICNに加盟しなかった。前にICNの会員協会であった、ブルガリア、中国、チェコスロバキア、エストニア、ハンガリー、ポーランド、ルーマニア(1957年まで)は、不本意ではあるが、ICN理事会により「一時休会」として分類された。
差別へのチャレンジ
1973年、ICNは爆発寸前の問題に終止符を打ち、南アフリカ看護師協会に対し、協会と理事会に対する人種差別を完全撤廃しない限り、ICNから除名すると主張した。南アフリカの放逐を求める投票動議がスウェーデン看護師協会とオランダ看護師協会から出されたが、南アフリカ看護師協会が突然退会したことにより、これはかろうじて回避された。数十年もの議論の末、ICNは人種差別への反対を表明するため、古参の会員協会を追放するというつらい手段を採った訳である。現在では、南アフリカ看護師協会を含む大規模なDENOSAは、活発なICNの会員である。
1989年、アジアから選出されたモー・イム・キムICN会長(1999年時韓国保健大臣)はソウルでの第19回4年毎大会において、7000人の看護師に挨拶を行った。この年までにICNは97の会員国を擁しており、デンマークのキルステン・スタルクネヒト氏が会長に就任した1997年には115カ国まで伸びている。
この先を見つめて
118ヶ国、何百万もの看護師を代表するICNが21世紀に踏み出していくと伴に、看護は達成された遺産と豊かな可能性をもって未来を楽しみに待ちわびている。フローレンス・ナイチンゲールが灯かりを点し、バージニア・ヘンダーソンの知恵を経て、明日へのチャレンジと可能性を目指して、国際看護師協会は世界の看護職と全ての人々により良い健康を提供するために活動し続けている。
補足:1899年の世界の動き
ICNは、多くの創造が成し遂げられ、社会的には動乱の時代であった19世紀の変わり目に創立された。19世紀の終わりから20世紀初頭にかけ、社会と政治における発展、人権、保健科学、実践のそれぞれで前例のない進歩が遂げられた。このような新しい未来への激動の中で、ICNは保健専門職者として、また女性としても初の国際組織として確実な第1歩を記した。創立100周年を記念し、1899年に起きた他の重要な出来事にも触れてみよう。
- オーストラリアの女流小説家/平和運動家 B.V.ズットナー、ハーグ(オランダ)で第1回国際平和会議を開催。後にこの努力が認められ、初のノーベル平和賞受賞(1905年)。
- モハンダス・ガンジーは、南アフリカで開業する若い弁護士だった。
- サラ・ベルナールは、パリのサラ・ベルナール劇場でハムレットを演じた。
- 医療研究者たちが初めて人間の血液型を分類した。
- ニュージーランドにおいて、世界で初めて女性が選挙権を得ることに成功した。
- まだ知名度の低かったパブロ・ピカソが、今や有名な「青の時代」にちょうど取り掛かろうとしていたときであった。
- Martinus Bijerinck、ウィルスの存在を発見。
- キューリ夫妻、ラジウムとポロニウムを発見。
- G. マルコーニ、無線伝達の技術を考案、2年後、初の実地説明。
- プッチーニ、ミラノのオペラハウスでトスカを初演。
- ブール戦争布告。3年間続く。
- 帝政ロシア皇帝のサー・ニコラス2世、第1回国際軍備縮小会議を呼びかけ
- ユージーン・デブス、アメリカ社会党を設立。
- 斬新な革新を行ったリチャード・シュトラウスのワルツ、ヨーロッパのミュージカルにすばらしい影響を与える
- J.J.トンプソン、電子を発見。原子構造解明の糸口となる。
- 国連の前身、列国議会同盟がパリで設立。
- フランスで、1日11時間就労の法律制定。
※ 上記文章はICN創立100周年記念会議(1999年)時のものです。
歴代会長とキャッチフレーズ
期間 | 会長名 | 出身国 | キャッチフレーズ |
---|---|---|---|
2021年から2025年 | パメラ・シプリアーノ | アメリカ合衆国 | INFLUENCE「影響力」 |
2017年から2021年 | アネット・ケネディ | アイルランド | TOGETHER「共に」 |
2013年から2017年 | ジュディス・シャミアン | カナダ | IMPACT「インパクト」 |
2009年から2013年 | ローズマリー・ブライアント | オーストラリア | ACCESS「アクセス」 |
2005年から2009年 | 南 裕子 | 日本 | HARMONY「和」 |
2001年から2005年 | クリスティン・ハンコック | イギリス | CARE「ケア」 |
1997年から2001年 | キルステン・スタルクネヒト | デンマーク | HUMANITY「人間性」 |
1993年から1997年 | マーグレッタ・マッデン・スタイルズ | アメリカ合衆国 | MARCH「前進」 |
1989年から1993年 | モー・イム・キム | 韓国 | LOVE「愛」 |
1985年から1989年 | ネリー・ガルソン | コロンビア | JUSTICE「正義」 |
1981年から1985年 | ムリンゴ・キエレニ | ケニア | |
1977年から1981年 | オリーブ・アンステー | オーストラリア | FREEDOM「自由」 |
1973年から1977年 | ドロシー・コーネリウス | アメリカ合衆国 | ACCOUNTABILITY「責務」 |
1969年から1973年 | マガレット・クルーゼ | デンマーク | FLEXIBILITY「柔軟性」 |
1965年から1969年 | アリス・ジロー | カナダ | UNITY「統一」 |
1961年から1965年 | アリス・クラマジェラン | フランス | TENACITY「粘り強さ」 |
1957年から1961年 | アグネス・オルソン | アメリカ合衆国 | INQUIRY「探求」 |
1953年から1957年 | マリー・ビエ | ベルギー | WISDOM「英知」 |
1947年から1953年 | ゲルダ・ヘイエール | スウェーデン | RESPONSIBILITY「責任」 |
1937年から1947年 | エフィー・テイラー | アメリカ合衆国 | FAITH「信念」 |
1933年から1937年 | アリシア・ロイド・スチル | イギリス | LOYALTY「忠誠」 |
1929年から1933年 | レオニー・チャプタル | フランス | CONCORD「調和」 |
1925年から1929年 | ニナ・ゲイジ | 中国 | SERVICE「サービス」 |
1922年から1925年 | ソフィー・マンネルハイム | フィンランド | PEACE「平和」 |
1915年から1922年 | ヘニー・ツエルニング | デンマーク | |
1912年から1915年 | アニー・グッドリッチ | アメリカ合衆国 | ASPIRATION「大志」 |
1909年から1912年 | アグネス・カール | ドイツ | LIFE「生命」 |
1904年から1909年 | スーザン・マックガヘイ | オーストリア | COURAGE「勇気」 |
1900年から1904年 | エセル・ベッドフォード・フェンイック | イギリス | WORK「仕事」 |
※1981年までは会長の任期終了時に「キャッチフレーズ」が残されたが、1985年以降は新任時に残すようになった。
"A History of the International Council of Nurses 1899-1964"、その他資料より
ICNとJNAの関係
日本看護協会会員はICNの会員であり、日本看護協会はICNの中で最大の会員数を擁する主要会員協会です。
日本看護協会は1933年にICNに加盟しました。第二次世界大戦時中に一次脱会しましたが、1949年に再加盟しました。
1977年には第16回ICN4年毎大会を東京で開催し、これを契機に学生大会が開催されるようになりました。この大会には11,534人(うち日本から7,489人)が参加しました。 また2007年5月にはCNR・ICN学術集会を横浜で30年振りに開催し、世界108カ国から3,901人の参加者を迎えました。1,010題の演題発表が行われました。
任期 | 役職 | 氏名 |
---|---|---|
1973年から1974年 | ICN理事 | 小林冨美栄氏 |
1985年から1993年 | ICN西太平洋地域理事 | 南裕子氏 |
1993年から2001年 | ICN第2副会長 | 片田範子氏 |
2005年から2009年 | ICN会長 | 南裕子氏 |
2009年から2013年 | ICN理事 | 金井Pak雅子氏 |
2013年から2017年 | ICN第1副会長 | 金井Pak雅子氏 |
2021年から2025年 | ICN理事 | 手島恵氏 |