日本看護協会とは

会長の手帳

月刊『看護』2017年2月号より

年末所感〜平成28年の覚え書き

本稿の掲載号は新年の発行になるが、今回は11月下旬から12月の出来事を紹介しながら所感を述べさせていただきたいと思う。
11月23日、第36回医療情報学連合大会(パシフィコ横浜開催)に参加。実はこの学会で講演できることを楽しみにしていた。看護管理者のときから、何とかして「看護の質」評価システムを創りたいと試みてきた。それが日本看護協会で多くの協力者を得て、DiNQL(労働と看護の質向上のためのデータベース)の開発につながった。その道のりを話したいと思ったからだ。本会の使命の1つ「看護の質向上」を図っていくためには、看護をした結果どうなったのか、それが客観的に見えるように指標や共通目線を持たなければならない。今後さらに多くの病院にDiNQL事業にご参加いただき、マネジメントや政策提言のエビデンスとして活用を進めていきたい。

12月2日、常務理事会を終え職員の忘年会に参加。ご指名があればPPAPの振りができるよう、朝浦参与や勝又常任理事と密かに練習していたが、原宿の夜景の見える大変上品な会場だったため今回は控えさせていただいた。6〜9日、毎年恒例の4日間にわたる専任役員幹部職員合同会議。各部署と侃侃諤諤と協議を重ね、来年度の事業の方向性と予算が定まってきた。

12日、「昭和八十四年1億3千万分の1の覚え書き」の上映会に、看護職の友人6人とともに参加。第2次大戦中の罪でBC級戦犯に問われ、今年10月に93歳で亡くなった飯田進さんの人生を描いたドキュメンタリー映画である。戦後の薬害など、私たち看護職にとって無関心ではいられないテーマも含まれる。昭和84年は、この映画が作られた2009年にあたる。飯田さんは青年期の大半を戦争と獄中で過ごした。仮釈放後、障害児の福祉に力を尽くしたが、実子はサリドマイド薬害に侵され、最期はC型肝炎で死亡した。淡々とした語りの中に、戦時中だけでなく戦後社会でも人の命が軽んじられている、昭和の問題はまだ解決されていないことが訴えられるようだった。たった1人の覚え書きが、"二度と過ちを繰り返してはならない"という強烈なメッセージになる。自分も1億3千万分の1として、また看護職の1人として、戦争や薬害について声を発しなければと感じた。

平成28年(昭和91年)12月21日、今年も残すところあと10日。振り返ると、全国各地、海外も公私合わせ4国を訪れる活動的な1年であった。身体を心配されることもあるが、オーストラリアで珍種の蘭(シバの女王)を見つけたように、新しい何かへ向かう好奇心は止められそうにない。