特別資料室ナイチンゲール関連資料

ナイチンゲール自画像

初代協会長井上基金設置特別資料室として1987年(昭和62年)に設立され、国内外の看護関係資料の保存と展示を目的としています。歴史的に貴重な資料を所蔵し、日本看護協会図書館内(東京都清瀬市)で展示をしています。

こちらでは、ナイチンゲール生誕200年を迎えた2020年に「特別資料室ナイチンゲールWeb展」として公開していた資料を、掲載しています。
このページでナイチンゲールの足跡に触れてみてはいかがでしょうか。

(翻訳・解説:日本看護協会図書館)

ナイチンゲール自筆書簡

A. Craig嬢宛(1864年10月29日)

Craig嬢宛手紙の表の画像
A. Craig嬢宛手紙の表

Craig嬢宛手紙の裏の画像
A. Craig嬢宛手紙の裏

原文

My dear Madam;
I was very glad indeed & see my little pamphlet (Indian) looking so pretty & so cheap.
As you say, without “ Committee & other ” impediments much may be done.
I will take 100 copies, please.
And if you will have the kindness to have them sent to 27 Norfolk Street Park Lane W. (where I am going for the “season” on 1 of November)
I shall be much obliged (& with the account too, please)
I hope it will live to be stereotyped, poor little thing. But, of course with that I have nothing to do.
I shall send for more than the 100, if I can “ place ” them.
With many thanks for all they trouble you have taken.
Believe me.
ever Sincerely yours

翻訳

私の小さなパンフレット(インドの)を見て、とてもかわいらしく、手軽でとてもうれしく思いました。
あなたのおっしゃるとおりに「委員会やその他の」障害がなければ、もっと多くのことがなされたかもしれません。
私に100部オーダーさせてくださいね。
それでもしよろしければ、ノーフォークストリート 27. パークレーンW. に送っていただけませんか?(11月1日、その時期には私はそちらに出向いていますので)
(勘定書も同封していただければ、ありがたいのです)。
今後、定番となってくれればいいのですが、小さなことですね。
もちろん私には何もできませんが。
置き場所があれば、100部以上取り寄せるところです。
いろいろにお手を煩わせてしまい大変に感謝いたしております。

解説

インドに駐在するイギリス軍の衛生状態の改善を目指していたナイチンゲールは、インドの全駐屯地から統計資料を収集し全2巻、2,028ページにも及ぶ「インド駐在陸軍の衛生状態に関する勅撰委員会」の報告書にまとめた。1863年に報告書の要約と意見を加えた23ページの「How people may live and not die in India」を作成した。これは木版画を掲載するなど読みやすいものとなっているが、余分に費用がかかり大蔵省が異議を唱えたためナイチンゲールは私費で印刷し、一部は女王を含む有力な知人に送付している。手紙にあるパンフレットとは「How people may live and not die in India」と思われ、この出来上がりに満足したナイチンゲールが印刷会社勤務していたと思われるクレーグ嬢宛に出した手紙である。

引用・参考

  • 湯槇ます監修「ナイチンゲール著作集 第3巻」現代社 1977年
  • 新治弟三・勝次共訳「ナイチンゲールの生涯」メヂカルフレンド社 1981年
  • Bishop, W. J. Goldie, Sue 「A bio-bibliography of Florence Nightingale」Dawsons of Pall Mall 1962

B. Paget嬢宛

Paget嬢宛手紙の表の画像
B. Paget嬢宛の表

Paget嬢宛手紙の裏の画像
B. Paget嬢宛手紙の裏

原文

Nov. 30/92
10, SOUTH STREET,
PARK LANE. W.

My dear Miss Rosalind Paget

We were very sorry to miss having you at Claydon when miss Lamport was so good as to come.
But Hospital claimes come before every thing else.
Mrs. Verney hopes that you will come to Claydon with miss Lamport, & I hope so to, tho' I shall not be there.
Mrs. Verney will be at home at Claydon. except between Dec. 3 and 7, if you kindly will propose yourselves,Miss Lamport was so good as to send me the revised (printed) copy of your Scheme for teaching Health—at—Home Lecturers—I do not see yet any provision for training the Lady Missioners to Health, Visiting in the cottages. The lecturers are only a peg to hang this visiting upon, are they not ?
You kindly invite my criticism. But, I will not trouble you till I can send you our printed pamphlet for your kind consideration.
If you are still at the “London” , please give my best love to Miss Lucker, I tell her that, tho' the beaten at the Privy Council, we are not a bit discouraged.
We shall have to work the harder to keeps up the standard of Nursing, of Hospital Registers & of Homes for Private Nurses not attached to Hospitals.

ever yours Sicerely

F. Nightingale

翻訳

1892年11月30日
ロザリンドパジェット嬢へ

ランポート嬢にクレイドンに来ていただいたときには、あなたにお会いする事ができずに、とても残念でした。
しかし、病院の問題がすべてに優先ですからね。
ヴァーネイ夫人はあなたがランポート嬢と一緒にクレイドンにいらっしゃることを望んでいます。
私もそう望んでいますが、私は行けません。
ヴァーネイ夫人は12月の3日から7日までを除いてはクレイドンのご自宅にいらっしゃいますので、あなた方から訪問の日を伺ってみるのがよいと思います。
ランポート嬢が、ご親切に「家庭保健の講師達」を教えるための改定版計画表を送ってくれました。
ただし今コテージ(病院)を訪れている、保健指導員たちを訓練する資料はまだ、送られていないようです。
講師たちは、こうした訪問のきっかけにすぎません。
私に批評を求めてくださいましたが、印刷されたパンフレットがあなたのお手元に届き、あなたにご一考いただくまでは、お手をわずらわせることはないと思います。
もしまだロンドンにいらっしゃるのでしたら、リュックス嬢によろしくお伝えください。
諮問機関で、かなりたたかれましたが、少しもくじけてはいないと彼女には伝えるつもりです。
看護や病院や登録制度や病院所属ではない個人看護師のための施設、こういったものの水準をあげるためにもっと努力しなければならないと思っています。

解説

書簡の冒頭にあるクレイドンは、バッキンガムシャーにある、姉パスィノーブの嫁ぎ先であるハリー・ヴァーネイ卿の邸宅があった場所である。姉パスィノーブが結婚したときには、すでにハリー・ヴァーネイ卿には成人した3人の息子と1人の娘がいた。姉パスィノーブは1890年に死去したが、その後も、ヴァーネイ家との関係は続き、ナイチンゲールは、クレイドンを「第2の故郷」と呼んでいる。当時ナイチンゲールは72歳。1892年、クレイドンの村々で村の母親たちに家庭保健の基本原理を指導できるような職種として「保健指導員」の運動を始め、翌年には、「Sick–Nursing and Health–Nursing. 」(病人の看護と健康を守る看護 1893年)を、翌年には「Health Teaching in Towns and Villages」(町や村での健康教育 1894年)を表している。また、1886年からイギリスでは「看護婦登録制度」に関する論争が始まり、ナイチンゲールは、登録制度そのものを否定してはいなかったが、「まだその機が熟していない。あと40年もすれば、職業看護もそれに相応しい段階に達するであろう」「試験のみによって看護婦の資格を認定しようとするもので、技術の習得と同等の重みを置いた人格の鍛錬というものを全く無視している」という2つの理由で反対している。手紙はパジェット嬢の働くロンドン病院の総婦長であり、同じく登録制度に反対をしていたリュックス嬢によろしく伝えてほしいと結んでいる。※1※2

なお、現在、クレイドンにあるハリー・ヴァーネイ卿の邸宅は「クレイドンハウス」として、ナショナルトラストの管轄にある。

書簡中に登場する人物について

  • Rosalind Paget 当時37歳

    1855年生、自由党下院議員ウィリアム・ラスボーンの姪、助産師、王室付在宅看護師。24歳のときにロンドン病院で訓練を受け、その後、助産免許を取得する。助産協会設立者の一人で協会の財務官を勤め、助産婦法の制定にも力を注いだ。また、セントラル病院で在宅看護を学んだのち、王室付在宅看護師となり、Queen Victoria's Jubilee Instituteで初代の監督長官にも任命された。
    第一次世界大戦時においては赤十字病院の監督官として活躍し、ARRCを受賞。さらに1935年にはDame(ナイトに相当する勲位に叙せられた婦人の敬称)の称号を与えられる。93歳でなくなる。※3

  • Dr. Ethel Frances Lamport

    1884年から見習い看護婦としてロンドン病院入所、その訓練終了後に数年間シスターとなる。衛生検査官、ロンドン女子医科大学で学び、医学博士の学位を取得。※4彼女の編集した書籍「Medical Nursing」(1894)は当館特別資料室で所蔵している。

  • Mrs. Verney

    クレイドンでの保健指導員の運動を支えたのが、ヴァーネイ卿の息子であるEdumund Verneyの妻MargaretとFrederick Verney の妻Maudeである。書簡にあるMrs. Verneyは、このどちらかと思われる。※5

  • Eva Luckes 当時36歳

    24歳でロンドン病院の総婦長となる。看護教育に深く関わり、看護婦の地位と看護の質の向上に力を注いだ。1895年には'Tredegar House' といわれる暫定的な訓練学校を組織、開講している。※6

引用・参考

  • 1 湯槇ます監修「ナイチンゲール著作集 第2巻」現代社 1974年
  • 2 武山満智子・小南吉彦訳「フロレンス・ナイチンゲールの生涯 下巻」現代社 1981年
  • 3 Nursing Mirror 148(1) p29 1979
  • 4 British Medical Journal, January 23, 1(2821) p187 1915
  • 5 Bostridge, Mark「Florence Nightingale」Penguin Books 2009
  • 6 Nursing Mirror 148(11) p33 1979

C. Gordon夫人宛①

Gordon夫人宛手紙①の表の画像
C. Gordon夫人宛手紙①の表

Gordon夫人宛手紙①の裏の画像
C. Gordon夫人宛手紙①の裏

原文

April 13/96
10, SOUTH STREET
PARK LANE. W.

Dear Madam
Many thanks for your delightful life of Dean Buckland. I hope to be able to help with the Calcutta Hospital. But hardly any one to be consulted is yet returned from his Easter holidays. Add to which the Home Foot is hardly to be moved in “local” things which concern the Governor Municipalities of India. Questions in Paatt are of little use. You ask me about whether your son should draw up “a Report”. I say: Yes, by all means—it will be of use, to send to any one but not without enquiry. It would run the risk of being “considered” which means pigeon–holed.
Give me time. I assure you I am as much interested in the matter as you are but very much overworked.

Yours sincerely
F. Nightingale
Excuse pencil

Mrs. GordonM
When I was a girl, I was at some Oxford celebration with my father & mother & sister & Lord Houghton (Monckton Milnes) who took us to see? “Frank” “Buckland” at his rooms. There was a little baby bear chained up at his door which, for some reason best known to itself, took violent offense at our arrival. It strained & tugged at its chain frantically & seemed as if it would either choke itself or fly at our faces. One of us said: Shall we try & mesmerize it ? And in an instant it was in an infant's sleep.

翻訳

1896年4月13日
あなたのすばらしい(著作)「Life of Dean Buckland 」に大変感謝しています。私もカルカッタの病院についてはお役に立つことができればと望んでいます。しかし、相談できる人はだれ一人としてイースターの休暇から戻っていないのです。おまけにお家の事情もからんだ「当地」の問題なので移転は困難を極めています。これはインドの地方自治体が関与することなのです。パートにおける諸問題は、(現地を除いては)ほとんど重要視されないという事なのです。あなたの御子息が「報告書」を書くべきかどうかをあなたはお尋ねになっていますが、私は「ぜひとも、お書きください」とお答えします。報告書を送るのは有益でしょうが、質問票をつけずに送りつけることはお止めになってください。なぜなら、その様なことをすれば当事者に回答を求めない報告書は、単に「検討済み」の印を押されてそのまま棚上げになってしまう危険性があるからです。
私に時間をください。私はあなたと同じ様にこの件について関心を抱いていると断言できます。しかし、今は仕事が手いっぱいの状態なのです。

真心を込めて
フローレンス・ナイチンゲール
鉛筆書きでごめんなさい。

私が小さかった頃、父、母、姉とホートン卿(Monckton Milnes)とオックスフォードであるお祝いを行いました。そのとき、ホートン卿が私達を誰に会わせてくれたと思います?ご自分の部屋にいた「Frank Buckland」です。その部屋には小さな子熊がいてドアのところに鎖でつながれていました。そしてその子熊は何か子熊なりの理由があって私たちの訪問にとてもひどく憤慨していました。子熊は狂ったように鎖を締め付け、引っ張っていましたが、あまりの激しさに窒息するか、私たちの顔面に飛びついてくるかのように思えました。そのとき、私たちの一人が子熊に催眠術をかけてみようと言ったのです。そうしたら、なんとたちまち、その子熊は幼児のように寝入ってしまったのです。

解説

  • この書簡は、著作を贈られたナイチンゲールが Mrs. Gordonに出した礼状。
  • 「Life of Dean Buckland」の正式タイトルは「Life and Correspondence of William Buckland, D. D. , F. R. S.」
    著者は Gordon,Elizabeth Oke である。William Buckland とはイギリスの聖職者、地質学者及び古生物学者で Mrs. Gordon の父であり、書簡中に登場する Frank Buckland はイギリスの外科医、動物学者及び自然史家で、また William Buckland の長男で、Mrs. Gordon の兄である。

D. Gordon夫人宛②

Gordon夫人宛手紙②の表画像
D. Gordon夫人宛手紙②の裏

Gordon夫人宛手紙②の裏画像
D. Gordon夫人宛手紙②の裏

原文

May 19/96
10, SOUTH STREET,
PARK LANE, W.

Private & Confidential Gov. –General Hospital Calcutta
Dear Madam
Please excuse my delay. I hope I am not too late.
We think the best plan would be, if your son would prepare—perhaps he has prepared—the report of the Government General Hospital, at Calcutta, suggested by you, & send it to me.
I take for granted that it will be signed by himself.
The signature of a scientific man carries weight, when the evidence is exact &important. I would carefully read it, & am asked to write the covering letter.
Then it would be privately sent on to the Secretary of State by a MP I know, who cares for the matter. And the S of S shall be asked to get the matter put to rights. He will be grateful for its being done privately, & will probably use his great influence with India.
This would be more likely to do good than anything done publicly in the House, which might have the effect of putting the authorities into an antagonistic attitude. They like to do a right thing when discretion is used in the urging it.
We have however other means if these fail.
Trusting that this good thing which you have unearthed will bear its full fruit I beg that you will believe me.

yours sincerely
Florence Nightingale
Mrs. Gordon

翻訳

1896年5月19日
10, SOUTH STREET,
PARK LANE, W.

親展 カルカッタの総合病院
返事が遅くなりましたがお許しください。遅すぎなければよいのですが。
あなたもご提案くださったように、もしご子息にカルカッタの総合病院に関する報告書を準備していただけるなら—ひょっとして、もう準備していただいているかも知れませんが—それを私に送っていただくことが最良の方法と考えます。
当然ご子息が報告書に自署されることと思います。というのは、ご子息のような科学的な方の署名は、その根拠が正確で重要性を帯びているときは、非常に重みを増すものです。
(報告書)を送っていただければ私は注意深く読むつもりですし、そしてカバーレターを書かせていただきます。
それからその報告書はこのような問題を気にかけてくれる私の知り合いの議員によって、長官へ個人的に送られ、その長官はこの問題を正すよう、頼まれるわけです。長官はこの件を公にしないでくれたことに感謝し、おそらく、インドに対する彼の大きな影響力を行使してくれることでしょう。
この内々でことを進めるやり方の方が、議会で公にして進めるどんな方法よりも、うまくいくでしょう。というのは問題が公表されると当局者の考え方は、かえって、敵対的になる可能性があるからです。当局に正論を唱えて行動を求めるとき、こちらが慎重にふるまえば、彼らは正しいことをしようと望むものです。
しかし、もしこういった策が失敗したとしても、他にとれる手段があります。
あなたが掘り起こした、この大切な問題がやがて成果として大きな実を結ぶことを信じて。
どうか私を信じてください。

真心を込めて
フローレンス・ナイチンゲール
ゴードン夫人へ

E. Gordon夫人宛③

Gordon夫人宛手紙③の表画像
E. Gordon夫人宛手紙③ 表

Gordon夫人宛手紙③の裏画像
E. Gordon夫人宛手紙③ 裏

原文

10, South Street,
Park Lane,W.
November 21st, 1896

Dear Mrs. Gordon,
I do indeed grieve with you and for you in the loss of your dear son, and pray for comfort for you.
The best comfort I know that I can give you and what would have pleased him could he have known it—perhaps he does know it—is what I confidentially have to tell you that I have been informed on the best authority that careful enquiry has been made and that steps will be taken for the reconstruction of the Hospital(Government General Hospital, Calcutta). I may give you joy the more on his account who is gone, on the success of your efforts to improve matters, but asking you still to consider the information as confidential on earth.
As regards the Chaplain question, I have enquired and am told that you should apply to some of the Religious Societies, who will be well informed on the subject and willing to take up the matter again and always deploring with you your loss and thanking you for writing to me.

Yours sincerely
F. Nightingale

翻訳

10, South Street,
Park Lane, W.
1896年11月21日

ゴードン夫人へ
最愛のご子息を亡くされて、私はあなたと共にまたあなたのために、嘆き悲しみそして、あなたの心がやすらぐことを祈っています。
私があなたに差し上げられる最良の慰め(もしご子息がこのことを知っていたら、さぞ喜ばれたことと思います、いえ、おそらくもうご存知でしょう)、それは一番信頼のおける筋から知らされた内密のことですので、どうぞ、あなたの胸のうちにだけおさめていただけるようお願いいたしますが、入念な調査の後、病院(カルカッタの国立総合病院)を再建するための手続きが取られる予定だということです。
他界されたご子息が望まれていたということがあるがゆえになおさら、事態改善への努力が実ったことへの喜びが大きいこととお察しいたしますが、まだこのお知らせは内々のこととして扱っていただきますよう重ねてお願いいたします。
牧師様の件に関しましては、お尋ねしたところ、どこか既存の宗教団体に問い合わせるのがよいと聞きました。そういった方々はこの種の案件に精通していて再度、この案件を取り上げていただけることと思います。ご子息のご不幸にお悔やみ申し上げますとともに、お手紙を下さったことに心から感謝いたします。

真心を込めて
フローレンス・ナイチンゲール

F. Gordon夫人宛④

Gordon夫人宛手紙④の表の画像
F. Gordon夫人宛④表

Gordon夫人宛手紙④の裏の画像
F. Gordon夫人宛④裏

Gordon夫人宛手紙④の封筒の画像
F. Gordon夫人宛④封筒

原文

10, South Street,
Park Lane,W.
Aug 27/97

Private
Dear Mrs. Gordon
I feel guilty in not having kept you ‘au fait' of the progress of the Calcutta European General Hospital—you to whom we are indebted for the first notice of its state. But if you knew the press of work under which I live—never a moment to myself—your kindness would forgive.
I will not tell you the steps by which the consummation was reached. Suffice it to say that the place was thoroughly overhauled—the Viceroy visited it himself—its complete reconstruction was determined upon. The new plans & report were forwarded to me with a request for “suggestions”. I consulted with our best sanitary authority here.
And by last mail I forwarded our “suggestions” to the authorities in India.
I need hardly say all this information is for yourself alone. I am sure you will be glad of it.

Ever yours faithfully,
F. Nightingale
Excuse pencil

翻訳

10, South Street,
Park Lane,W.
1897年8月27日

私信
ゴードン夫人へ

カルカッタの欧州総合病院のその後の進展についてあなたにお知らせをしていなかったことをとても心苦しく思っています。本来はあなたにその状況を一番にお知らせする義務を負っていますのに。でも私の仕事の忙しさをわかっていただければ、(一時として自分の時間がないのです)、お優しいあなたのことですから許していただけると思っています。
目的が成就された過程をひとつひとつ申し上げることはいたしません。病院が総点検を受けることになり、総督自身が自らそこを訪れて、全面的な再建が決定されたことをお伝えすれば十分かと思います。それに関する新しい計画案と報告が私に「示唆」を求める要望とともに転送されてきました。私はこの国の最も衛生に関する優れた権威者と協議して、最後にお送りしたお手紙でインドの当局者に私たちの「示唆」をお送りしたところです。
申し上げるまでもありませんが、このお知らせはすべて内々にお願いいたします。
このお知らせに関して、あなたがきっとお喜びになるだろうと想像しております。

誠意をこめて
F. Nightingale
鉛筆にて失礼

「Notes on Nursing(看護覚え書)」Florence Nightingale

「Notes on Nursing(看護覚え書)」表紙画像

「Notes on Nursing(看護覚え書)」展示の様子画像

解説

1859年に発行された本書の初版本には発行日付がなく、扉頁の発行者標示の下に「翻訳権所有」の標示もない。またその見返しは黄色で何も印刷されていない。この直後に印刷されたものは、出版社が広告入りの見返しをつけたとされている。聖トマス病院の看護婦宿舎に現存している初版本にはナイチンゲールの手で「愛するビアトリスへ、親友F.Nより、1860年元旦」という献辞が書き残されている。(『ナイチンゲール著作集』ビショップ氏解題による)

本会もこの1859年発行の初版本を所蔵し、図書館特別資料室(日本看護協会看護研修学校内併設:東京都清瀬市)にて展示している。その見返しは黄色で何も印刷されておらず、ナイチンゲール自筆と思われる「Mrs.Forbes.」とだけ記されている。

また、1859年に『Notes on Nursing』が発行された当時の書評を、ビショップ氏が次のように紹介しており、その翻訳が『ナイチンゲール著作集』へ掲載されている。

おもな新聞や雑誌はこぞってこの本を書評にとり上げたが、いずれもみな異口同音に絶賛をもってこの本を迎えたのであった。〜中略〜

Lancet,Volume75,lssue1902,p144(11 February 1860)
「これはまさに注目に値する本である。この本からはいろいろな良い結果が生み出されなくてはならないが、たとえその半分でもが実現されることになれば、フロレンス・ナイチンゲールは、現代の女性の誰にも優って、世の女性たちに多大の益をもたらしたことになり、その感謝を受けるにふさわしいひととなるであろう。・・・この本は、そのわかりやすくて明快でしかも示唆に富んだ思想と、また簡潔な表現および巧妙な配列とによって、含蓄の深い本となっている」

引用・参考

  • 薄井坦子ほか編訳、ナイチンゲール著作集. 現代社 1974.
  • A Bio-Bibliography of Florence Nightingale. Compiled by W. j. Bishop,Completed by Sue Goldie. Dawsons of Pall Mall,1962.

Notes on Hospitals(病院覚え書)

Notes on Hospitals表紙画像

ナイチンゲール劇台本

ナイチンゲール劇台本の表紙画像
ナイチンゲール劇台本46ページ画像

解説

フローレンスナイチンゲール:五幕
三影紳太郎著 日本看護協会 1958.10

本会では、ナイチンゲール記念事業として、昭和33年(1958)5月15・16日に劇「フロレンスナイチンゲール」五幕を銀座ガスホールで上演した。協会ニュース29号(昭和33年7月1日)には、「シナリオの実費配布を計画中」という記事があり、希望者を募っている。また、雑誌『看護』10巻7号口絵(1958年)には上演時の様子が紹介されている。

当館所蔵のナイチンゲール関連書籍のリスト

 

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