令和6年能登半島地震 関連情報
令和6年能登半島地震に関する本会の取り組みや関連する情報を掲載しています。
令和6年能登半島地震にあたり日本看護協会会長からのメッセージ
日本看護協会 会長 高橋 弘枝
1月1日に発生した令和6年能登半島地震において、亡くなられた方々の御冥福をお祈り申し上げるとともに、被災された方々にお見舞いを申し上げます。また、被災地域で支援活動に尽力する会員、看護職の皆さまに心から敬意を表します。
日本看護協会は、本会内に危機管理対策本部を設置し、発災直後から被災地域の各県看護協会、厚生労働省などと連絡を取りながら対応を進めております。
石川県では1月5日から、災害支援ナースの県内派遣を開始しました。さらに6日には、近隣県の看護協会からの災害支援ナースの派遣を開始しています。
今後、避難所なども含め派遣先が拡大されますので、全国の看護協会と連携して災害支援ナースを派遣し、継続的に被災地域の人々の支援に取り組んでまいります。
2024年1月7日
協会ニュース2月号の誤記のお詫びと訂正のお知らせ
協会ニュース2月号1面に掲載した「石川県ナースセンター」のメールアドレスに誤りがございました。お詫び申し上げますと共に、以下の通り訂正いたします。
<石川県内の看護職の支援と地域の看護職確保を目指して>
就業について困っている看護職の方、看護職の雇用について相談したい医療機関、施設などの方は石川県ナースセンターにご相談を。
TEL:076-225-7771 FAX:076-225-7788
(誤):Eメール:ishikawa@nurse-center.ne
(正):Eメール:ishikawa@nurse-center.net
令和6年能登半島地震 被災地への支援活動について
日本看護協会は、本会内に高橋弘枝会長を本部長とする危機管理対策本部を設置し、発災直後から被災地域の各県看護協会と連絡を取りながら対応を進めています。
石川県看護協会では1月5日から、災害支援ナースの県内派遣(災害対応区分レベル1)を開始しました。さらに1月6日には、日本看護協会による全国派遣(災害対応区分レベル3)も開始し、1月10日現在、6県看護協会から延べ84人の災害支援ナースを派遣しているところです。また、ニーズを踏まえた支援となるよう、石川県に本会職員を派遣し、石川県および石川県看護協会との調整、受け入れ体制の整備などに当たっています。
本会は今後も、都道府県看護協会、関係団体、政府との連携を図りつつ支援活動に取り組んでまいります。
※「災害支援ナース」とは 詳細はこちら
県外からの災害支援ナースの派遣場所・人数 ※( )は派遣元の看護協会
※1月6日~2月29日までの延べ派遣者数:2,982人
2月26日~2月29日 派遣 合計6人
3県看護協会から派遣(福井県、岐阜県、愛知県看護協会)
派遣先:1.5次避難所
2月23日~2月26日 派遣 合計8人
4県看護協会から派遣(富山県、福井県、愛知県、三重県看護協会)
派遣先:1.5次避難所
2月20日~2月23日 派遣 合計14人
7都県看護協会から派遣(埼玉県、東京都、長野県、富山県、岐阜県、静岡県、愛知県看護協会)
派遣先:1.5次避難所
2月17日~2月20日 派遣 合計14人
7府県看護協会から派遣(富山県、福井県、岐阜県、愛知県、三重県、滋賀県、大阪府看護協会)
派遣先:1.5次避難所
2月14日~2月17日 派遣 合計22人
10都府県看護協会から派遣(埼玉県、東京都、神奈川県、富山県、福井県、愛知県、三重県、滋賀県、京都府、大阪府看護協会)
派遣先:1.5次避難所
2月11日~2月14日 派遣 合計35人
13都府県看護協会から派遣(福島県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、富山県、福井県、静岡県、愛知県、滋賀県、京都府、大阪府、広島県看護協会)
派遣先:避難所、1.5次避難所など
2月8日~2月11日 派遣 合計38人
15都府県看護協会から派遣(埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、新潟県、長野県、福井県、静岡県、愛知県、三重県、滋賀県、京都府、大阪府、兵庫県、広島県看護協会)
派遣先:避難所、1.5次避難所など
2月5日~2月8日 派遣 合計48人
19都府県看護協会から派遣(宮城県、福島県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、新潟県、長野県、福井県、岐阜県、静岡県、愛知県、三重県、滋賀県、京都府、大阪府、兵庫県、奈良県、岡山県看護協会)
派遣先:避難所、1.5次避難所など
2月2日~2月5日 派遣 合計52人
21都府県看護協会から派遣(宮城県、福島県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、新潟県、長野県、福井県、岐阜県、静岡県、愛知県、三重県、滋賀県、京都府、大阪府、兵庫県、和歌山県、岡山県、広島県、山口県看護協会)
派遣先:避難所、1.5次避難所など
1月30日~2月2日 派遣 合計64人
21都府県看護協会から派遣(宮城県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、新潟県、長野県、富山県、福井県、岐阜県、静岡県、愛知県、三重県、滋賀県、京都府、大阪府、兵庫県、奈良県、和歌山県、広島県、山口県看護協会)
派遣先:避難所、1.5次避難所、病院など
1月27日~1月30日 派遣 合計67人
21都府県看護協会から派遣(宮城県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、山梨県、長野県、富山県、福井県、岐阜県、静岡県、愛知県、滋賀県、京都府、大阪府、兵庫県、奈良県、和歌山県、広島県、山口県看護協会)
派遣先:避難所、1.5次避難所、病院など
1月24日~1月27日 派遣 合計64人
19都府県看護協会から派遣(宮城県、福島県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、山梨県、長野県、富山県、岐阜県、静岡県、愛知県、三重県、滋賀県、京都府、和歌山県、広島県、山口県看護協会)
派遣先:避難所、1.5次避難所、病院など
1月21日~1月24日 派遣 合計84人
22都府県看護協会から派遣(宮城県、福島県、栃木県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、新潟県、長野県、福井県、岐阜県、静岡県、愛知県、三重県、滋賀県、京都府、大阪府、兵庫県、和歌山県、広島県、山口県看護協会)
派遣先:避難所、1.5次避難所、病院など
1月18日~1月21日 派遣 合計88人
27都府県看護協会から派遣(宮城県、福島県、茨城県、栃木県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、新潟県、山梨県、長野県、富山県、福井県、岐阜県、静岡県、愛知県、三重県、滋賀県、京都府、大阪府、兵庫県、奈良県、和歌山県、岡山県、広島県、山口県看護協会)
派遣先:避難所、1.5次避難所、病院など
1月15日~1月18日 派遣 合計 61人
18都府県看護協会から派遣(栃木県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、新潟県、山梨県、長野県、富山県、福井県、岐阜県、静岡県、愛知県、滋賀県、京都府、大阪府、兵庫県看護協会)
派遣先: 避難所、1.5次避難所など
1月12日~1月15日 派遣 合計 50人
17都府県看護協会から派遣(栃木県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、新潟県、山梨県、長野県、富山県、福井県、静岡県、愛知県、滋賀県、京都府、大阪府、兵庫県看護協会)
派遣先: 避難所、1.5次避難所(いしかわ総合スポーツセンター)など
1月10日~1月12日 派遣 合計 4人
愛知県看護協会から派遣
避難所: 七尾市立中島小学校 2人、矢田郷地区コミュニティセンター 2人
1月9日~1月12日 派遣 合計 16人
岐阜県、滋賀県、大阪府、京都府看護協会から派遣
珠洲市総合病院 5人、公立穴水総合病院 4人、市立輪島病院 4人、公立宇出津総合病院 3人
1月6日~1月9日 派遣 合計 12人
福井県、岐阜県、滋賀県看護協会から派遣
珠洲市総合病院 2人、公立穴水総合病院 4人、市立輪島病院 6人
活動報告
- 災害支援ナースは、石川県からの要請を受けて派遣しています。派遣場所や人数などについては石川県および石川県看護協会と日本看護協会で調整し、都道府県看護協会との連携により全国から派遣しています。
愛知県看護協会から災害支援ナースをいしかわ総合スポーツセンターに派遣 (2024年4月10日掲載)
春日井市民病院 太田 有亮
2月17日から20日まで1.5次避難所のいしかわ総合スポーツセンターで活動し、統括リーダーを担当した。1月にDMAT隊員として被災地に行った際はCSCATTT(※1)を考えながら活動したが、今回はCSCAHHH(※2)で現状と今後の方針を考えながら行動した。災害支援ナースの統括リーダーは、現地の看護管理者の意向に沿って動く。避難されている方とずっと寄り添う現地の看護職の未来を考えていくには、俯瞰力と日々進歩する災害医療の知識習得の必要性を強く感じた。これまで災害支援ナースはボランティア活動の位置付けだったが今後は、改正医療法の「災害・感染症医療業務従事者」となり、専門職の能力をさらに発揮することが期待されている。今回、延べ2,982人の災害支援ナース派遣となった。多くの人が有効に活動するには、マネジメントが重要なのは言うまでもない。現在の災害支援ナースの教育や研修内容は基礎的な部分が多い。同じ災害・感染症医療業務従事者であるDMATやDPATでは、登録時の育成研修以外に「統括者研修」「技能維持研修」「実働訓練」を実施しており災害支援ナースもこれらを整備・充足させるのが急務である。その中で、J-SPEED(※3)や施設・避難所等ラピッドアセスメントシート(OCR対応様式)などのICTが活用出来るようになっていかなければならない。
震災発生から50日が経過していたが、共に働いた現地の看護師は自施設で働きながら休日に避難所で働いている方もいた。もちろん自助を促すのは大事なことであるが、現地の看護師の疲弊は続いていた。大災害時は復興まで長い道のりになる。今の災害支援ナースの活動要領では活動期間目安は1カ月であるが、もっと必要ではないかと個人的には感じた。
私達の活動に後方支援など尽力していただいた方々に心より感謝するとともに被災地の一刻も早い復興をお祈り申し上げます。
※1 大規模災害時の医療支援の原則
※2 要配慮者救護の基本的な考え方
※3 災害医療チームの標準診療日報システム
愛知県看護協会から災害支援ナースをいしかわ総合スポーツセンターに派遣 (2024年4月10日掲載)
一宮市立市民病院 戸田 尚江
1月1日に発生した能登半島地震でDMATとして災害派遣に出動し、活動してきた経験とやりきれなかった思いがあり、愛知県の災害ナースとして再び被災者の支援をしたいと思い、 2月8日から11日まで支援に参加した。しかし「被災者のテントは自宅であり、患者ではない。自立を妨げるため介入を控えるように」と引き継ぎを受け、何をしたらいいのか戸惑った。支援メンバーと何ができるか考え、訪問看護のように全テントを巡回した結果、着替えの衣服がない、配給品が賞味期限切れで放置のまま、介助がないとテントから出られないなど、生活環境を整えることが必要な状況であった。保健師やJRATと連携し、被災者とともにテント内の環境整備を行った。活動量が減りフレイルやDVT発症する被災者がいたため、災害関連死の予防のため「足」の看護介入をしようとなった。足を看てケアをしたことで早期発見につながり、被災者の声に耳を傾けられた。その情報は多職種と共有し、個々の問題を解決することは困難であったが、限られた派遣期間内で対応し、次の派遣者に引き継いだ。平素より連携を取ることが難しいと感じている多職種連携が、さらに慣れない環境で相互理解を深めながら協働する難しさを感じた。
今回の活動を通して、被災地での多職種連携が円滑に行えるようなシステム作りが課題であると考える。
被災地の全ての医療機関・避難所において継続した支援が行われ、被災した看護師が離職をせず復興に向かえることを切に願う。
宮城県看護協会から災害支援ナースをいしかわ総合スポーツセンターに派遣 (2024年2月15日掲載)
公立大学法人宮城大学 勝沼 志保里
1月24日から27日まで、宮城県看護協会の第3班(日本看護協会第7班)として4人が6都県24人の災害支援ナースとともに、いしかわ総合スポーツセンターで活動した。
1.5次避難所では、発熱、下痢・嘔吐などの感染症を疑う症状や、慢性疾患の悪化が見られ、診療所の受診者が増加傾向にあった。高齢者も多く、転倒、内服忘れ、褥瘡の発生、認知機能低下による徘徊もあり、健康観察の継続に加え感染症対策の強化や生活の見直しのニーズが高まっていた。調整本部職員、医師、保健師チーム、薬剤師チーム、DWAT、JRAT、JDA-DAT、DHEAT、DPATなどと相談・調整しながら、衛生環境の整備、感染症対策の統一と強化、個別の状況に合わせた食事内容の調整、内服管理方法の検討、受診勧奨や付き添い、救急搬送対応などを行った。多職種チームとの情報伝達や共有をスムーズに行うためには連携・協働が求められ、災害対応の原則であるCSCAの指揮統制と情報伝達の重要性を改めて感じた。限られた活動期間で人々の健康と生活を守る看護の専門性を最大限に発揮するため、災害支援ナースのリーダーとして、活動体制と役割の明確化、業務内容の共通理解や活動上の課題を共有するために情報管理ボードや業務マニュアルの修正も行った。前班が積み重ねてきた活動を現状に合わせて変化させながら後任につないでいく、災害支援ナースの全体の活動として継続されることも実感した。
今後も避難生活の長期化が見込まれる中、全ての人々に必要とする支援が届くよう、関わり続けていきたい。
奈良県看護協会から災害支援ナースを輪島市立鳳至小学校に派遣 (2024年2月5日掲載)
独立行政法人 国立病院機構 奈良医療センター 笹田 泉樹
1月18日から21日まで輪島市の鳳至小学校で活動した。到着すると、体育館に多くの方が雑魚寝されていた。先行チームからの申し送りで、インフルエンザやコロナウイルス感染後の避難者が非常に多く、胃腸炎症状の発症も見られること、パーテーションは避難者の方がお互い顔の見える方が安心するという理由で使用できていない状況が伝えられた。
課題が感染対策であることを認識し、感染管理認定看護師のリーダーを中心に活動した。感染兆候のある方を巡回診療へつなぎ、コロナ陽性となった方へは隔離スペースがなかったため一時的に自宅で過ごせるよう調整した。先行チームが行っていた車中泊の方への巡回を継続し、インフルエンザ陽性となった方へ健康観察と支援を行った。行政の方は丁寧にパーテーションの意向を確認し、同意を得た方から徐々に設置を進めた。避難所玄関の土足と上履きの境界が曖昧になっていたため、清掃するとカビだらけの段ボールが出現した。清掃後に下駄箱を新設し、土足と上履きのラインを明確に区分した。先行チームが体育館内のトイレの使用や清掃の方法を確立していたため、有症者用のトイレスペースを確保し、隔離テントの設置等を実施した。
初日に多くの方が咳嗽していた状況は少しずつ減った印象だった。今回の経験を通して災害支援者が感染管理の知識を持っていることの重要性、制限のある中で感染対策を実行していく大切さを認識できた。
帰還した現在も避難・支援を続けている方の健康を願っている。
京都府看護協会から災害支援ナースを輪島市立大屋公民館に派遣 (2024年1月31日掲載)
国家公務員共済組合連合会 舞鶴共済病院 渡瀬 美恵子
京都府より第2班として4人が、輪島市内の中学校に開設された避難所に向け出発した。目的地まで残り18kmの所で土砂崩れに遭遇し、避難所へ向かうことができない事態となった。調整本部に迅速に調整いただき、急きょ大屋公民館へ向かうこととなったが、二次災害を踏まえていまだ混乱を極めている時期であること、また指揮命令を守り、自身の安全の確保の他、いかなる変化にも柔軟に対応できる力が求められることを実感し、現地に到着した。
活動に当たってはリーダーを担うこととなり、避難所の運営・管理と避難者の生活および健康管理について評価し、継続支援の基礎を作ることを目標に活動した。医療の介入が不十分な中、自治会が自律して活動されており、感染症対策や衛生管理が行き届いていたと評価できた。一方で避難所の管理者の方々は、強い緊張状態にあることが度々うかがわれ、不安な思いを丁寧に傾聴しながら「何でもする」のではなく、常に協働することを心掛け行動した。こうした関わりは不安の軽減だけでなく、自助・共助の強化につなげることができたと考える。また、有症者の重症化予防、感染症対策、DVT対策、段ボールベッドの設置など、派遣メンバーの看護の視点を生かし、活動ができた。特に、隔離されたインフルエンザ罹患者が重症脱水であると迅速に判断し、診療につなげ、また水分補給や保清などの看護介入により入院に至らず経過できメンバー全員が胸を撫でおろした。
今回派遣に際し、多くの支援を頂いた関係者の皆さまに感謝するとともに、被災地の一刻も早い復興をお祈り申し上げます。
埼玉県看護協会から災害支援ナースを石川県能登町松波中学校に派遣 (2024年1月30日掲載)
社会医療法人財団石心会 埼玉石心会病院 小林 夕紀子
活動開始前にメンバーで「避難所にいる方々の負担を軽減できるように、感染対策が無理なく継続できることを提案していく」と話し合った。メンバーが避難所にいる方々とコミュニケーションを取り、求められている介入について情報収集した。避難所は断水しており排便の際にはラップポンを使用、高齢者が多く使用方法が理解できずエラー表示となることが多かった。COVID感染者や有症者と健常者は隔離していたが、避難所でのゾーニングは困難な状況だった。自衛隊による風呂が設置されていたが、浴槽が高く跨げないなどの理由から「入浴したいけど、私達には無理」との発言が聞かれていた。弾性ストッキング着用が推奨されていたが、避難所内には物資として見当たらなかった。
活動経験のある災害支援ナースより、足浴で下肢の観察を行う提案があり、段ボールにビニール袋を入れ、自衛隊よりお湯を分けていただき実践した。その際に爪の観察をし、爪切りなどを行った。今回初めて活動した災害支援ナースが、出来る限りの時間を使って活動する姿を見て、経験者から「改めて学びになった」との言葉があった。お互いに学ぶことがあり、避難所で必要とされる看護を確認した支援となった。
千葉県看護協会から災害支援ナースをさわやか交流館プルートに派遣 (2024年1月30日掲載)
地方独立行政法人 東金九十九里地域医療センター
東千葉メディカルセンター 壇 美香
1月12日から15日まで石川県穴水町、さわやか交流館プルートで活動した。福祉避難所もあり車椅子や杖歩行の方や100歳の方など約130人が避難されていた。地元の潜在看護師1人とNPO法人が介入しコロナ、インフルエンザ感染者は隔離されていた。
建物は雨漏りがあり、上下水道が使用不可でありトイレは流せない状況であった。施設職員自身も被災され「あなた達を待っていました!」と言われるほど疲弊されていた。指揮命令系統が確立されておらず掲示板の情報も更新されていない状況であった。施設職員、社会福祉協議会、NPO法人、地元の看護師との毎朝の調整会議の提案や掲示板などの改善をさせていただく事で、現状把握と優先事項の共有がスムーズに行えた。感染管理、高血糖・感冒様症状者など健康ニーズへの介入、近隣の避難所からの問い合わせ対応、褥瘡処置、女性用品の配置変更、トイレ使用を考慮した室内のベッド移動、入退所の部屋移動、夜間のトイレ掃除と排泄物処理、更衣室設置、夜間や地震発生時の巡視、薬剤・備品の整理、衛生材料の在庫チェック、自衛隊への物資依頼DMAT、JMATなどへの対応と協力依頼などを行った。
発災15日が経過していたが、寒さもあり換気や室内の清掃がされず後続の災害支援ナースに支援を依頼した。今後上下水道が整うまでは感染対策の強化が必要と考える。
余震時には「怖い」と声を上げる方もおり、被災者へのこころケアも重要である。
静岡県看護協会から災害支援ナースを石川県輪島市立鳳至小学校に派遣 (2024年1月30日掲載)
順天堂大学医学部附属静岡病院 松尾 正人
派遣初日は金沢から輪島市立鳳至小学校へ到着するまで2度の派遣先変更があり、災害時の情報の混乱を痛感する事態となった。避難所到着が21時30分となったため、避難所の状況把握のみとし、2日目から支援活動を開始した。断水にて避難所内の衛生環境が不良であり、ゴミ捨て、トイレ清掃、共用場所の消毒から活動開始した。その後140人程の避難者の健康観察、有症状者の情報のDMAT隊員への提供、車中泊避難者の健康観察と弾性ストッキングの配布、救護所立ち上げを行った。新型コロナやインフルエンザ陽性の方が多数混在しており感染症の蔓延が危惧された。有症状者には水分や食事摂取を促しつつ、全避難者に対し健康観察を継続した。トイレ清掃は1日3回実施し、輪島市職員へ清掃方法を共有した。また、避難者の清潔のニーズを把握し、自衛隊のお風呂支援と協働しての入浴介助や、お湯を分けてもらい洗髪・手浴・足浴を実施した。活動中、体育館ステージの天井から20×10㎝大のコンクリート片が落下する事態が発生し、幸いけが人はなかったが避難所の安全確保が困難な状況下であることを痛感した。輪島市職員の方々も自らが被災者でありながら避難者を支援しており、発災時からの疲労で体調を崩す方もいた。私達は被災者や炊き出しのボランティアの方々から多くの温かいお声掛けをいただきました。このたび、私達の支援活動に尽力していただいた方々に心から感謝申し上げます。
和歌山県、滋賀県、福井県看護協会から災害支援ナースを輪島高校に派遣 (2024年1月30日掲載)
紀南病院 竹本 順子
1月18日〜21日まで輪島高校避難所第3班として和歌山県、滋賀県、福井県の計8人で活動した。輪島高校避難所は一般避難所と福祉避難所を併設しており、200人前後が避難されていた。福祉避難所には、新型コロナやインフルエンザ陽性者、感染性腸炎の疑いがある避難者で、かつ介護を必要とする避難者を一般避難所と分けてゾーニングしていた。前任チームからの引き継ぎを受け、それぞれの担当エリアにて健康観察、有症状者の対応を行った。地震発生から2週間以上が経過し、発熱や下痢、嘔吐といった消化器症状など体調不良を訴える避難者も多かった。避難者自身が医療機関に行けない場合は、診察が必要と考えられる避難者をピックアップし、巡回診療医療チームへ情報提供を行った。高齢者も多く避難されていたため、隔離が必要となったところでせん妄を呈したり、転倒してしまったりする避難者も居り、チーム内で毎日ミーティングを行い、要配慮者として情報共有していった。避難所の環境整備は十分とは言えず、特にトイレは災害支援 ナースが中心となり、1日のスケジュールにトイレ清掃を組み込み環境整備していった。
避難者の体調管理や生活支援など、災害支援ナースが避難者に対して支援できることは無限大であり、それを他の支援チームに繋いでいく一番身近な存在として大きな役割があると改めて感じた。自身が実践できたことはほんの一部にすぎないが、次の災害支援ナースへつないでいくことが大切だと感じた。
日本看護協会 高橋弘枝会長と中野夕香里常任理事が、石川県看護協会・石川県庁・1.5次避難所を視察 (2024年1月29日掲載)
石川県看護協会において
石川県看護協会 小藤会長、役職員の皆さまと情報交換
日本看護協会 常任理事 中野 夕香里
1月26日に日本看護協会会長 高橋弘枝が石川県金沢市を訪問し、石川県看護協会、石川県庁、1.5次避難所(石川県総合スポーツセンター、産業展示館2号館)を視察した。
石川県看護協会では、小藤会長、役員をはじめ、ナースセンター担当者なども交えて、現状と課題、必要な対応について話し合った。被害が甚大であった奥能登地域と目下、支援の受け皿となっている金沢市、双方の医療機関がそれぞれ、看護職の疲弊、病床マネジメントの困難性などの看護管理上の多くの問題を抱えていること、特に、疲弊または被災により奥能登地域を離れる看護職の意向に沿った就業支援が急がれること、入職予定の新卒看護職の就業先の調整や看護学生の相談対応も求められることなどの課題に対して、具体的な対応の方針を共有した。また、奥能登地域においてどのような医療提供体制を再興するのかという視点も重要であり、県にその検討を要請する必要があることも確認した。
県庁の保健医療調整本部では、石川県健康福祉部の看護担当、石川県協会長および常任理事にDMAT本部の担当者を交えて、これまでの対応を振り返った。災害支援ナースがまず、医療機関に支援に入り、これを国の広域派遣に引き継ぎながら、避難所支援にシフトする流れがスムーズにできた(看護職が専門性を生かして「医療」支援から「生活」支援に、状況を踏まえてシフト)こと、災害支援ナースから遅滞なく共有される活動報告により、避難所の状況、ニーズがタイムリーに明確に把握でき、派遣要請を的確・円滑に行うことができたこと、早い時期から日本看護協会職員が県庁にてリエゾンの役割を果たし、石川県、石川県看護協会、日本看護協会の三者で協働体制が取れたことが、関係者から評価された。
1.5次避難所では避難環境を確認、また運営状況を聞き取った。災害支援ナースの活動状況も確認した。1.5次避難所に避難者が滞留している状況については改善が急がれるが、避難者の多くの要介護認定の申請からスタートしている状況であり、また、何より、受入れ先のキャパシティが限られており、避難者の意向をくみつつ、出口をどこまで広げられるかが課題である現状を聴取した。
今回の視察により把握された課題については、本会、石川県看護協会としての取り組みのみならず、石川県への働き掛けも必要となる。日本看護協会では、迅速な対応に向け、石川県看護協会と連携・支援していく。
山梨県看護協会から災害支援ナースを能登町立松波中学校に派遣 (2024年1月29日掲載)
地域医療振興協会上野原市立病院 志村 はるか
石川県庁から車で約4時間半、派遣先は避難所になっている能登町立松波中学校だった。基本的には体育館を使用し、発熱や集団生活困難者が教室4部屋を使用しており、派遣期間中は約85人が生活していた。体育館の床は隆起し、戸は歪み、壁には亀裂が入り、至る所から隙間風が吹いていた。しかし、暖房器具や石油ストーブが1日中可動しており避難所を温めていた。地域一帯で断水が続いており、敷地内には自衛隊の仮設入浴場、災害用の水洗トイレが設置してあった。避難所には慢性疾患を抱えている高齢者が多く、その中でも生活に見守りや声掛けが必要な人は、仮設入浴場や災害用水洗トイレの段差や、移動などの問題があり利用できずにいた。
到着初日から私たちは夜勤業務に入り、日中活動している医療ボランティア団体のスタッフが休息できるよう努めた。日中も可能な限り、基礎疾患や常用薬の情報収集や処方が必要な人の洗い出し、検温や内服確認、環境整備、配膳、段ボールベッドの設置、足浴や爪切りを実施した。避難者の中にオストメイトがいたが、必要なストーマ物品が手に入らず対応に苦慮した。
避難所での活動量、口腔ケア、栄養、排泄などの問題は、慢性疾患の悪化やフレイルやサルコペニアの発症リスクに影響することが知られており、この避難所においても早期対応が必要であると感じた。
今回の派遣に当たり、ご支援ご協力いただいた皆さまに感謝申し上げます。また、被災地の皆さまが1日でも早く必要な支援やケアが受けられるようお祈り申し上げます。
広島県看護協会から災害支援ナースをいしかわ総合スポーツセンター・小松総合体育館に派遣 (2024年1月26日掲載)
「1.5次避難所の立ち上げと活動体制構築」
マツダ株式会社 マツダ病院 船田 健一
初日は予定されていた小松総 合体育館は、天候不良のため自衛隊機搬送が出来ず、被災者受け入れが出来なくなり、急きょ、いしかわ総合スポーツセンターへの派遣となった。避難所では多くの避難者が生活されており、医療福祉団体として災害支援ナースをはじめ、DMAT、JMAT、JRAT、DWAT、子供支援団体などが活動していた。1日目は前班との引き継ぎを行い、リーダーの選出と指揮系統の確認を行なった。
2日目からは1.5次避難所の小松総合体育館へ、山口県災害支援ナース4人と計8人で派遣開始となった。小松総合体育館では災害支援ナースをはじめ、行政、地元医師会、JMAT、保健師と連携し活動した。
私は災害支援ナースのリーダーとして、安全と健康管理、支援活動を円滑に行えるようにCSCAを意識して活動した。現地の石川県看護協会3人と指揮命令系統と役割を確認し、活動拠点を確保、2交代の勤務を決定。被災者の受け入れを開始するに当たり役割分担や有症者トリアージのシミュレーションを行い、PDCAを回し多職種と課題解決していった。被災者へのラウンドや内服指導、健康相談や傾聴、医師への報連相、必要時救急搬送を行なった。感染症のある被災者もいるため、ゾーニングや動線を決め、環境整備を行う事で感染拡大防止に努めた。また、本避難所の先遣隊で活動基盤を整えるため、連絡指揮図、スタッフ業務マニュアル、日勤・夜勤スケジュール、リーダー業務マニュアルを作成した。
このたびはチームの災害支援ナースの対応能力の高さに支えられ、無事安全に派遣任務を終える事ができた。被害を受けられた方々へお見舞いと、一日も早い復旧・復興をお祈り申し上げます。
東京都看護協会から災害支援ナースを珠洲市立正院小学校に派遣 (2024年1月22日掲載)
東邦大学医療センター 大森病院 宮地 富士子
1月12日金沢駅に集合後、6時間30分後の17時に正院小学校へ到着した。対策本部は被災者でもある市役所職員や石川県看護協会から派遣された看護師などで構成されていた。
12日の避難者数は220人で、多くは高齢者であったが要介助者は少なかった。しかし、到着時にはコロナ陽性者が複数名発生しており、感染拡大が懸念される状況であった。13日から、健康チェック(2回/日)を実施し健康管理を開始した。14日から被災者の2次避難が開始され計61人が2次避難所へ避難した。また、小学校の再開が15日からと決定し、授業が再開できるように小学校の3階部分を、ボランティアや防災士と協力し被災者の移動と片付け・清掃を行った。被災者の移動に合わせて、届けられているパーテーションと段ボールベッドを体育館や各部屋に設置することも行った。
最終日の15日は、発災から2週間目であり慢性疾患の増悪が懸念される時期であるため、災害支援ナースで被災者の基礎疾患や残薬の確認を行い、熊本県の保健師、避難所統括のPWJ(特定非営利活動法人ピースウィンズ・ジャパン)に情報を引き継いだ。プリンター・コピー機が使用できず、被災者情報は手書きで記載し部屋ごとのマップを作成して次の災害支援ナースへ情報を引き継いだ。
目まぐるしい4日間で「看護師さんが居てくれるだけで安心する」と言っていただけたが、災害支援ナースとしてできたことは少なかったのではないかと感じる。派遣に当たりご協力くださった皆さまに感謝いたします。そして、避難者の皆さまが1日でも早く日常を感じられるように祈っております。
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大阪府看護協会から災害支援ナースを輪島市立門前東小学校に派遣 (2024年1月22日掲載)
独立行政法人 労働者健康安全機構 大阪ろうさい病院 桐本 ますみ
私を含む4人は1月12日から15日まで門前東小学校で活動をした。活動2日目に門前会館から支援の要請を受け、2人は門前東小学校、残る2人は門前会館と支所で活動した。
この場所での支援は災害支援ナースとして先遣部隊であったので、問題点の抽出と継続看護していけるような体制の構築が必要であると考えた。門前東小学校に到着して小学校内の案内と往診してくれた医療チームから申し送りを受けた。そこで明らかとなった問題点は①患者の基礎疾患と内服薬の把握②医療が必要な人の援助③インフルエンザ蔓延防止④DVT予防であった。①に関しては1人ずつ、基礎疾患と内服薬の種類と残数、おくすり手帳の有無、内服薬を病院や調剤薬局で取りにいける人の有無を確認した名簿を作成した。門前東小学校の避難者は総勢110人、そのうち内服薬を服用していたのは80人、内服薬を倒壊した家屋に忘れた人は2人いた。忘れた内服薬の名称が不明であったため、かかりつけ医に連絡し門前東小学校に一番近い調剤薬局にFAXで送信してもらい、近隣の方に薬を取りに行ってもらった。②に関しては、発熱者の診察後に病状の悪化がないか観察した。1人が喘息発作の再燃を起こし病院へ救急搬送となった。③に関しては、1日2回清掃と換気の時間を設け、被災者と一緒に清掃を行った。④に関しては、清掃と換気終了後にラジオ体操を行った。
長野県看護協会から災害支援ナースを能登町立小木小学校・小木中学校に派遣 (2024年1月19日掲載)
「長野県看護協会 第1班災害支援ナースとしての活動」
地方独立行政法人 長野市民病院 中野 順子
長野県の第1班として、1月12日から15日まで能登町の小木小学校と小木中学校で活動した。夕方に到着し小木中学校での支援の予定であったが、調整本部・役場・現場はかなり混乱し、情報が届いておらず夜は小木小学校での活動となった。13日からは小木中学校に入っているAMAT(全日本病院医療支援班)と連携し活動した。避難所には90人が避難しており、医療支援は昼間日赤の巡回診療が行われているのみであった。杖を使用している高齢者も多く夜間のトイレ介助などで家族、避難所担当者も疲弊していた。コロナ陽性者も1人校舎で隔離中だった。仮設トイレは体育館外に3つあるが夜間は暗く寒いことから、体育館入り口のトイレを使用していた。排泄物を流すためにプールに溜まった雨水を使用していたため床は濡れ転倒リスクも高い状況だった。避難者の体調確認と夜間のトイレ介助・清掃、隔離者の状態観察を実施。夜間の発熱者隔離対応、救急や転院搬送者の準備、隔離者の入室と解除者の退室、生活援助・環境整備を実施した。避難所では体調不良者の早期発見を心がけAMAT外来へつないだ。短時間ではあるが一緒に体操を行いDVT予防や運動不足解消に努めた。
ミーティングでは、行政とつながっていない被災者が多くいることや、往診・休日夜間の時間外診療も1人で行っているクリニックのマンパワー不足について共有した。被災した自宅で要介護者を介護しているケースもあり、これらの現状をどのように情報発信していくかが課題であり、AMATから保健医療福祉調整本部会議につないだ。行政が把握していない避難所や在宅で避難されている方々が、一日でも早く支援が受けられる状況になり、現在課題とされている災害関連死につながらないことを祈ります。
今回活動に当たりご支援ご協力いただいた皆さまに感謝申し上げます。
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富山県看護協会から災害支援ナースを矢田郷地区コミュニティーセンターに派遣 (2024年1月17日掲載)
「富山県看護協会 第一陣災害支援ナースとしての活動」
社会福祉法人恩賜財団済生会 富山県済生会富山病院 平野 奈央子
1月12日から16日まで七尾市の矢田郷地区コミュニティーセンターで、災害支援ナースとして活動した。
現場は断水が続いており、古い木造住宅は全壊、道路は陥没、隆起によって運転が不都合な場所が多かった。市役所には支援物資があふれていたが、市職員は不眠不休の活動を続け疲弊しており、十分な機能が果たせていないと感じた。避難所は目立った損壊なく、250名の方が避難生活を送っておられた。
災害サイクルのフェーズとして、亜急性期のフェーズ3(震災から1か月)の時期であると判断し、避難者の急性・慢性疾患看護、感染対策、生活指導、巡回診療介助、心のケアを中心に活動した。急性疾患(発熱やアレルギー)に対してはトリアージを実施し、受診のタイミングや方法について判断した。十分な感染対策が行えない中、コロナ、インフルエンザの発症を認めたため2部屋の感染室を設置し、PPEの準備、ゾーニングを実施した。感染患者に対しては、急変を未然に防ぐようフィジカルアセスメント、観察を継続した。
糖尿病、高血圧症、心臓病、精神疾患などの慢性疾患を有する避難者が多く、内服、インスリン、食事制限やアレルギーを確認した。また、DVT予防のための体操、水分補給などについて説明した。この他、震災後1週間以上もの間、更衣できていない避難者が多かったため清潔援助を実施した。
今回は、施設職員、地域、全国からのボランティア、保健師、介護職員、DHEAT、DMAT、日赤医療救護班、市の職員、保育士など多職種と協働し、情報共有、相談しながら活動することができた。看護が介入することで避難所の医療ニーズへの対応がよりよくできるようになり、被災者や施設職員が安心して過ごすことができていた。被災者との会話では、「ありがとう」と感謝の言葉をいただき頑張る気持ちを後押しされた。
今後は、水の復旧が待たれるが、今できる限りの感染対策と被災者への心のケアが重要である。
1月6日~ 日本看護協会の職員を派遣 (2024年1月12日掲載)
石川県看護協会の支援として、石川県庁に本会職員を1月6日に2人、1月7日からは1人を交代で継続して派遣している。
石川県庁では保健医療福祉調整本部において、県担当者、厚生労働省、石川県看護協会役員とともに災害支援ナースの派遣先の調整や派遣対応、本会危機管理対策本部との連携等を実施。
また、石川県看護協会にも1月10日から3人の職員を派遣し、同協会が対応する1.5次避難所の運営支援などを行っている。
日本看護協会職員による1.5次避難所の運営支援(2024年1月15日掲載)
いしかわ総合スポーツセンター
1月10日から1月12日の間、開設されたばかりの金沢市内にある1.5次避難所「いしかわ総合スポーツセンター」において、石川県看護協会、県庁職員、各県から派遣された保健師などとともに支援を行った。避難所が開設されたばかりであったため、医療が必要な入所者の対応を優先的に行いながら、同時に石川県看護協会主導のもと、避難所における看護師の役割、組織の連携体制、医療を継続するための地域の医療機関との連携体制、24時間の看護体制など業務フローの基盤整理を行い、マニュアルを作成するなど、同避難所の運営が円滑に行われるよう支援した。
産業展示館(2号館)
1月13日から新たな1.5次避難所として運用開始される「産業展示館(2号館)」の開設準備と運用支援を行った。具体的には「いしかわ総合スポーツセンター」との役割分担や入所対象者の基準、県庁職員・県協会・看護師の役割分担と業務内容、入所者の受け入れから退所までの流れ、感染症対策、緊急時の対応フローなどについて、石川県看護協会、県庁職員など関係者で協議し、業務マニュアルとして体系的にまとめ整理した。
産業展示館(2号館)は、基本的にはADLが自立しており日常的なケアを要しない方が対象の避難所として設置され、医師の配置は日中・夜間共にない(1/14時点)。入所者の皆さまが安全に、少しでも快適に過ごせるよう環境整備を行うとともに、看護師が24時間体制でさまざまなニーズに応えられるよう「看護師健康相談」コーナーを設置するなど、被災者の健康と暮らしをまもるための体制づくりを支援した。
石川県庁から現地に出発する災害支援ナース |
1.5次避難所 いしかわ総合スポーツセンター |
1月6日~1月9日 福井県、岐阜県、滋賀県看護協会から災害支援ナースを派遣 (2024年1月10日掲載)
珠洲市総合病院 2人、公立穴水総合病院 4人、市立輪島病院 6人
各地から派遣された災害支援ナースは、金沢市から現地まで約5時間を要して夜間に到着し、到着後すぐに準夜勤から病棟支援等を開始。各地の病院で病棟支援や、医療を必要とする被災者へのケア、夜間ER当直での重傷者への対応、感染症対策等、各病院の状況、ニーズに応じた支援を実施。断水が続いており、手洗いやトイレの水が流せないため地下水を汲み上げてバケツで流すなど地震によるライフラインへの影響が生じている中、被災地のさまざまな状況にも対応しながら支援活動を実施している。
滋賀県看護協会から災害支援ナースを珠洲市総合病院に派遣 (2024年1月11日掲載)
「活動を終えて」 市立長浜病院 野村 耕一郎、赤星 圭一
1月6日、奥能登地域の被害全容が不明なまま調査と地域の医療支援、物資支援として支援ナース先遣隊として珠洲市に派遣となった。DMAT本部と警察署での情報収集を行いながら12時間かかり到着した。珠洲市総合病院は200床の病院、地域の医療継続のため60床まで減らす方針となっていた。避難生活を行いながら勤務しているスタッフはかなり疲弊されている状況であった。現地スタッフの休息と補填確保のため夜間救急外来支援と病棟支援を行うことになった。
救急外来では、倒壊家屋から救出された被災者の治療介助に当たった。挟まれて腫脹した下肢は減張切開を行って、輸液負荷、電解質補正、A-Line介助など現地でできる治療の最大限を駆使して救命の介助をした。翌日には広域ヘリ搬送された。
翌日は重症心不全患者の救急搬送があり、酸素化が保てない患者で、医療者間で挿管の協議を行ったが、患者本人に意思確認できていなかったため確認を提案した。家族は来院できない状態で電話での説明がされた。高濃度酸素投与できない機種でNPPVを実施、RSTの経験活かし酸素濃度、使用方法を医師に説明して設定を一緒に行った。
救急治療のスペシャリストが揃っていたことで、その場で治療方針を決めながら活動を行った。多職種連携を行い患者本人の意思も汲み取り限られた資源の中で最大限のケア行うことが重要と感じた。
今回支援に当たりご支援ご協力いただいた皆さまには感謝申し上げます。
福井県看護協会から災害支援ナースを市立輪島病院に派遣 (2024年1月11日掲載)
福井県看護協会では1月6日より災害支援ナースの派遣を開始。第一陣の 6人(福井大学医学部附属病院 2人、福井県立病院 2人、福井県済生会病院 2人)が被災地に出発し市立輪島病院で活動。
福井大学医学部附属病院 橋本 文
能登半島地震の被災者対応のため1月6日~9日の間、市立輪島病院で活動。金沢と能登半島とを直結する「のと里山海道」は土砂崩れと陥没。そして発災後最初の連休だったため、近隣に住んでいる方が安否確認と物資搬送に往来することで渋滞し、到着するまでに通常の4倍以上の時間を要した。到着後は市立輪島病院では病棟スタッフとして活動。保清、環境整備、食事介助や処置など病棟業務全般(準夜勤務、深夜勤務を含む)に携わった。病棟では災害急性期を過ぎ、ほとんどの患者が金沢市内の病院に搬送されていたが「能登を離れたくない」と病棟に残っている高齢患者も少なくなかった。また「倒壊して帰る場所がない。話を聞いてほしい」30分毎に感じる余震で「怖いので安定剤が欲しい」など被災者の方の不安に寄り添い、話を傾聴した。支援者でもあり被災者でもある市立輪島病院の看護師は、発災後より自宅に帰らず、2日間家族の安否が分からないまま気丈にも患者対応をされている方や、自宅が倒壊して帰れず病院で寝泊まりを続けている方が多く見られた。
現在も断水が続き、生活用水は届くようになったが、感染対策が追い付かず避難所でのインフルエンザやコロナウイルス感染症が広まっている。一日も早いライフラインの復旧が望まれる。
岐阜県看護協会から災害支援ナースを公立穴水総合病院に派遣(2024年1月16日掲載)
岐阜県立下呂温泉病院 山本 泰大
1月6日~9日に公立穴水総合病院にて能登半島地震の災害支援活動を行ったので報告する。
道路の損壊で通行止め区間が多く、先頭車両にナビ隊員をおき、安全第一で支援へ出発。到着後、情報収集と指揮命令系統を確認した。災害急性期であり混乱、職員の疲弊が著明である事を考慮し、①病院とDMAT支援指揮所の間で活動をスムーズに行うための指揮命令系統の確立②後発隊への円滑な引き継ぎ③可能な限りの病棟支援④看護協会との連絡調整のスマート化⑤支援ナースの活動中の安全と帰還を活動方針とした。
活動方針に沿い、病院、DMATと情報共有を行った。避難住民スペースのトイレの衛生状況の悪化について報告し改善を依頼。後発隊へ引き継ぐためファイリングや情報共有ツールへの掲載を行った。病棟支援においては断水と勤務スタッフの不足、物資の不安定供給によるスタッフの疲弊を確認。優先順位を考慮し、おむつ交換、点滴、配薬を実施。看護業務外では病室天井破損の応急修繕を実施した。またストレスのたまる患者、スタッフ双方の話の傾聴を心掛けた。その他、空いた時間での足浴など災害支援ナースとして「出来る事はなんでもやる」という姿勢で支援業務に当たった。
1月9日安全に留意して帰路に就き、全員の無事帰還を確認し任務終了となった。
被災地の皆さま、同志である看護師の皆さまの安全と一日も早い復興を祈る。
情報提供 –被災地で活動する看護職の皆さまへ–
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