副会長活動ダイジェスト

機関誌「看護」2024年7月号より

副会長  井伊  久美子

副会長 井伊久美子

振り返って② ありがとうございました

日本看護協会の役員として、17年と長期にわたり大変お世話になりました。この間、保健師助産師看護師法の改正や医療制度改革、それに伴う予算の獲得など、さまざまな経験をさせていただきました。しかし法改正したからと言って状況がすぐに改善するわけではなく、そこからが本当のスタートで、継続した取り組みが求められることも痛感しました。看護を取り巻く状況は日々変化し、課題も山積しています。勤務環境や処遇の改善はまだまだ緒についたばかりで、看護職の役割拡大や教育制度改革も息の長い取り組みが必要です。そのために日本看護協会の組織としての活動は不可欠であり、大きな責務を担っています。私たちが先輩方からそうしてきてもらったように、次代へと引き継ぐことで、組織としてぶれずにあきらめず継続して取り組んでいけると確信しています。これからも参画していきたいと思いますが、まずは一区切りです。本当に長い間ありがとうございました。

副会長  任 和子

nin

着物の看護婦さん

義理の祖母は看護婦として働き、大正から令和までの時代を生き抜き104歳で亡くなりました。子育てが一段落した40歳ごろに再び働くことを決意し、隣家の方の紹介で運よく自宅から近い大学病院に勤務することができたそうです。面接後、即採用。1960年代は病院が増床していた時期で、人手不足だったのでしょう。祖母は着物を普段着とし、通勤も着物姿でした。若い看護婦や医師から「着物の看護婦さん」と呼ばれていました。その当時、祖母と一緒に勤務していた医師と縁あって話す機会があり、名前とともに「着物の看護婦さん」を覚えていてくださり、うれしかったです。祖母は、私の博士の学位取得をとても喜んでくれ、毛筆で書かれた手紙とともにお祝い金を送ってくれました。あまりにありがたく、学位記とともに大事にしまっていました。先日、久しぶりに取り出したところ、1万円札の表面は福澤諭吉でしたが、裏面は現在の鳳凰像ではなく2羽のキジでした。7月3日には、福澤諭吉から渋沢栄一に変わりますね。

副会長  山本 則子

yamamoto

副会長の職に就いて1 年が経ちました

この原稿を書いている今、日本看護協会は6月の総会の準備を進めています。私は副会長の職に就いて1年になります。新しい経験の連続で、支えてくださった皆さまに心から感謝します。この1年で、看護職の発展と国民への貢献を効果的に実現していために、本会がどのように機能しているかを具体的に経験することができました。また理事会では、都道府県によって多様な事情がありつつも、それぞれ会員のために活動なさっている様子を学びました。大きな組織であるがゆえに意見もさまざまで、それらを集約して意思決定する過程には時に困難を伴うこともありますが、最善の落としどころを模索して決定していかなければなりません。時代とともに、職能団体に対する看護職の皆さまの意識も変化していくのは当然のことです。そのような中で、本会はどのような形で会員の皆さまと向き合い、その役割を果たすべきなのかを考えつつ、日々の活動に取り組んでいきたいと思います。

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