堀 友紀子さん

堀 友紀子さん  急性・重症患者看護専門看護師 

所属施設

岩手県野田村役場住民福祉課
岩手県九戸郡野田村野田第20地割14番地
住民福祉課 看護職員 保健師3名、看護師2名
地域情報 人口4,255人 65歳以上の人口36.4%(2018年11月末現在)
村内の医療機関 診療所(外来のみ)内科1件、歯科1件

資格取得までの道

退職してから大学院進学。大学院修了後に新たに急性期の医療機関に勤務し2010年に資格取得。

大学院修了後の活動

大学院修了後は、三次救急医療機関の救急外来の配属となりました。それまで救急外来は他部署の応援体制で運営されていましたが、専任の看護師9名を配置し三交代勤務で深夜勤務は1人で従事するという体制でスタートしました。相談する看護師がいない場面において1人で判断することの迷い、一瞬の判断が左右する救急の責任の重さを感じ、看護師スタッフの困り事、ジレンマを抱えた事例、重症ケースのアセスメント向上のため事例の振り返りを行うようにしました。また、救急外来では、受診を希望する方、在宅で療養している方の家族や訪問看護師、介護支援者からの電話での相談もありました。とくに在宅で療養している方の救急時の連携は、地域で療養する中で最善の医療を提供するために整備するうえで重要な部分と感じていました。

地域での看護活動

日本DMAT隊員になり災害医療の関わりを契機に、東日本大震災後復興での支援をしたいこと、在院日数が短縮される中で地域での看護を知らなければ連携はできないとさらに感じたこと、医療の政策を知ることを目的に震災応援職員に応募し、岩手県野田村役場に任期付き職員として赴任しました。

野田村は、医師不足という地域医療の問題を抱え、緊急時の往診がなく状態が悪くなれば病院へ行き、最期は病院でという状況が続いています。赴任した平成28年度に訪問看護ステーションの地域エリア拡大により訪問看護が利用できるようになりましたが、住民にとって身近に訪問看護のモデルがなく、地域にいる看護職員に相談をしてくる場合があります。

一緒に保健活動している保健師と
一緒に保健活動している保健師と

そのような環境の中でできるだけ緊急での再入院を減らし地域で生活できるよう退院支援看護師、居宅介護事業所、地域包括支援センターと協働し、自宅に訪問し直接住民や家族からの相談にも応じています。認知症をはじめ、高血圧や循環器疾患、糖尿病といった生活習慣病を複数保有している場合のセルフケアの支援、がんで療養しているケースに対応しています。予後不良の疾患の場合では、家族が中心に介護する場合でも倫理的な葛藤が発生することを見据え援助者としての関係を保ち続けながら、再び家族から相談があった場合はすぐに支援ができる体制をとっています。保健医療福祉に携わる人々の間の調整と、地域ケア会議や看看連携会議に参加し行政と地域の関係者が課題を共有し解決に向けて「繋がりあうこと」、行政として地域の課題を取りまとめ発信することが地域包括ケアシステムを整備、維持する上で大切なことと感じています。

医療機関では個別課題に対して援助計画を立て実践をしますが、地域の保健活動では個別課題から地域課題を把握し、解決する手段を考えていく視点が必要となります。慢性疾患の管理や健康増進、療養支援、重症化予防の対策に国の制度や法制度の運用からの事業の組み立てのために、健診データや医療費の情報を収集し地域の分析を行っています。

市町村では地域住民の健康の保持及び増進を目的とした保健活動について地域保健・健康増進事業報告として年度報として公表しています。この中では、訪問指導の対象は生活習慣病改善のための指導が必要な方、寝たきり者、介護家族者等の人数といった数値での報告となります。在宅医療・介護連携推進事業は、医療と介護の両方を必要とする状態の高齢者を対象にしています。 地域には医療的ケアを必要とする小児、成人も生活しており、医療介護連携の実態、課題を明らかにし、事業や政策の立案について検討が必要です。そのためには日々の訪問記録や報告書の作成は、量的な現状把握の数値としては現れない連携の実態や住民のニーズや施策の検討に資するデータとなります。看護としての視点で判断したプロセスを明確にする文書管理も今後の課題です。

所属施設の上司から受けたサポートの事例

地域の介護施設、医療機関からの要望による職員への研修開催について大変協力的です。防災訓練の計画や運営といった組織横断的に活動すること、住民にとって必要と判断したことには即座に支援していただき、看護の力を一番理解していただいています。

上司からのメッセージ
田中 和弘さん(野田村役場 住民福祉課課長)

平成28年度から村の任期付職員として、当野田村の復興支援に携わっていただきました。私も同時に他部署から異動し、前任者から「応援職員として、このような人が来るよ」と引き継がれました。当時は「DMAT」という言葉が非常に大きく感じられ、「当村には過分な人材なのでは…」との思いがありました。
しかし、専門的な経験や分析力などにより、村民の健康に関する相談から防災訓練の運営など幅広く対応していただき、その思いは直ぐに感謝に変わりました。
健診結果の分析、困難な相談事例への対応、認知症初期集中支援体制の構築など、知識と経験を存分に発揮していただいたと思っております。
被災地支援として、この3年間築いてくれたものを継続・発展させられるよう努力しながら、今後ともできる限りの支援をしたいと考えています。

(2019年1月16日掲載)

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