看護の日の制定を願う会

メーンテーマ

「看護の心をみんなの心に」

要望書

宛名:厚生大臣 津島 雄二(つしま ゆうじ)殿
平成2年8月8日

メンバー(敬称略)

  • 秋山 ちえ子
    (あきやま ちえこ)
  • 高原 須美子
    (たかはら すみこ)
  • 柳田 邦男
    (やなぎだ くにお)
  • 石川 美代子
    (いしかわ みよこ)
  • 橋田 壽賀子
    (はしだ すがこ)
  • 吉武 輝子
    (よしたけ てるこ)
  • 高久 史麿
    (たかく ふみまろ)
  • 日野原 重明
    (ひのはら しげあき)
  • 吉利 和
    (よしとし やわら)

発案・呼びかけ人

中島 みち
(なかじま みち)

趣意

「看護の日」の制定をと申し上げると、1982年にレーガン大統領の宣言したNational Recognition Day for Nurses「看護婦の日」からの連想で、では「医師の日」は?「介護士の日」は?と次々と思い浮かべられるかもしれません。

しかし、私どもが制定を願っておりますのは「看護の日」であり、これは、それらを全部包含するばかりか、もっと大きな国民的ひろがりの中で待望されるものであります。 看護の心、ケアの心を、ひろく国民の、女も男も等しく分かち合い、特に21世紀の高齢化社会を担っていく子供たちにも、その心をはぐくんでいきたいというつよい願いから発するものです。

家庭の中には肌と肌の暖かなつながりのある世話(ケア)があり、地域社会には扶けあいがあり、健常者が一人一人の務めとして心や身体に障害のある人々を守り、医療者はキュアとともに患者である一人の人間へのケアの心を大切にする、こうした意味での看護の心です。

看護の心が社会に根づけば、おのずから、看護婦の社会的地位も向上し、看護の場が魅力ある職場となりましょう。男女ともに、誇り高い職業としてナースをライフワークとする人々も増えるのではないでしょうか。

戦後45年、日本は豊かになりました。健やかに生きているかぎりは、その豊かさを存分に享受することが出来ます。
しかし、ひとたび病を得た時、みんなが貧しく扶け合って堪えていた時代より、はるかに生きがたい世になっているように感じられます。
年々健やかな者の場と病む者の場が離れていき、その落差はあまりにも大きくなったように感じられます。
死んでいった人々は何も言いませんが、ナースコールをしても、人手不足でナースは間に合わず孤独の中で死んで行く時、健康で豊かさを満喫した生活の思い出など何の慰めにもならず、悲惨さを増すばかりです。

4人に1人が65歳以上の人、という日本人の高齢化時代は、すぐそこまで来ています。核家族化している今の世で、老化による不治の病と辛抱強く闘い寝かされたきりの病人にならぬようにするためには、家庭と地域における看護の心が、医療の中の看護の心としっかり結び合わされなければならないと思います。
ストレスの多い社会から生まれる半健康人を、本当の病人にしてしまわないようにするためにも、同じことが言えましょう。

国民医療費が20兆円を超えるのも、もうすぐ、いやすでに超えつつありましょう。
このままいけば、医療費は増加するばかり、しかも必ずしも国民の幸せにつながらぬ形で増加していくことでしょう。
病人をてあつくケアするという意味で医療費が増えるのなら大変に結構なことですが、高度先端医療を必要とする患者の増加に医療費がかかるということは、決して望ましいことではないと思います。
たとえば、人工透析患者にかかる医療費は付随の医療費も合わせますと年間6千億円(呼びかけ人の試算による)に達すると考えられますが、1988年だけでも透析患者は16470人増えております。

その人々を調べてみるとはじめはほんのちょっとした不注意で風邪をこじらせたとか、無理をおしてスポーツをしたなどという場合も多いようです。
いま、プライマリイ・ヘルス・ケアを含む看護にお金が使われることは、結局のところ21世紀に不幸な形で医療費が際限なく増加していくことを防ぐことにもなります。

家庭や地域に、そして職域に、看護の心、ケアの心、扶け合いの心が育てば、病気を予防し、軽いうちに治癒させ、それでも避けがたい病に倒れた人には、その最期まで暖かな慰めの心が豊かに注がれることになりましょう。

国民のあいだにこうした心が育つためには、何かのキッカケが必要と存じます。
自分や家族が病を経験した多くの人々が願っていることではありますが、健常者や子供が、看護とはどういうことなのかを認識する機会がないと、こうした心は社会に根づいていきにくいものです。

消防の出初め式の対火活動の報道を見て、身のまわりの災害対策を本気で見直すのと同じように、「看護の日」が制定され、各種行事により看護の歴史や看護婦の活動が世に知られ、普通学校教育の中で看護への目が養われていけば、いつのまにか自然に、社会全体に看護の心、ケアの心が広がっていくのではないかと考えます。

具体的な日にちの問題は、日本での公的な看護の始まりの日などいろいろ辿ってみましたが諸説あり、近代看護の始まりにちなんでナイチンゲールデイにという考えもありますが、これは今後自由な発想で、衆知を集めて考えていくべきことと思います。

以上、「看護の日」の制定を、発起人一同心から願います。

呼びかけ人による添え書き

この度発起人になられた方々は、お一人お一人それぞれに看護との深いかかわりを持たれ看護の心を大切に思われるとともに、看護職にも格別の理解と応援の気持ちを抱いておられる方々です。

2年余り前、私が「看護の日」の制定について始めてご意見を仰いだのは日野原 重明(ひのはら しげあき)氏 ですが、氏はそのとき非常に大きな励ましを与えて下さいました。日野原氏はサイエンスとしての医学とともに、アートとしての医、患者への慰め、癒し、支援の技としての医が21世紀に花開くことを念じておられますが、それにはまず看護の心が国民にひろく浸透しなければならぬと教えて下さいました。

秋山 ちえ子(あきやま ちえこ)氏は、もうどなたもご存知のことですが、私の知るかぎりでも40年の長きにわたり障害のある方々の生き甲斐のために、まさに東奔西走の日々を重ねてこられました。

石川 美代子(いしかわ みよこ)氏は、夫君である元国立がんセンター総長 石川七郎氏の在職中から同センターターミナルケア研究会に熱心に参加され、夫君を看取られたあともなお、患者のケアのためにボランティアとして活躍しておられます。

高久 史磨(たかく ふみまろ)氏は、まず患者のキュアに力を尽くされてきたのは勿論ですが、近年長期化してきた患者の終末期をより安らかなものとするために、早くから医師と看護婦との協力で、病より病者を癒すためのケアにも深い関心を持たれてきました。

高原 須美子(たかはら すみこ)氏 は、15年間寝たきりであられた母上の介護のため、5年間は仕事を断念されて全力を尽くされ、その看護によって自らをも充実させ、母上の入院後は看護の現場を深く見つめてこられました。

橋田 壽賀子(はしだ すがこ)氏は、仕事の上でも「いのち」と取り組まれ医療の現場を取材されましたが、夫君が不治の病にかかられた時、病む人が、その重篤な病状にもかかわらずこころやすらかに明日を信じて闘うことができるよう、実にきめ細かな心づくしで支えられ、夫君の人生の最後の一日まで充実したものとするための看取りを果たされました。

柳田 邦男(やなぎだ くにお)氏は、改めて記すまでもなく、「ガン回廊の炎」など一連のドキュメントで、医療の場におけるプロフェッショナルの「立ちはだかる難題を何としてでもブレーク・スルーしなければ退かない」パッションを主題とされ、また闘病する者自らとケアする者がお互いに支えあう人間の絆の強さ、確かさ、そして美しさを描かれ、そこからはこれからの医療におけるケアの重要性を認識させられます。

吉武 輝子(よしたけ てるこ)氏は、女性の地位の向上のために戦ってこられた立場と、ご自身の闘病体験をとおして、情熱をもって看護についての問題提起をしておられますが、愛嬢が心豊かなナースとして活躍されているのも、吉武氏のこの姿勢と深いかかわりのあることと思います。

吉利 和(よしとし やわら)氏は、多くの優秀なナースの育成に貢献してこられましたが、今、夫人の献身的な看護を受けて闘病なさりながら、ケアのあり方についてますます思いを深められる日々を過ごしておられます。

呼びかけ人、中島 みち(なかじま みち)氏も、自分のガン体験や夫の死までのケアを通して看護の重要性を認識し看護婦の方々に深く感謝し、もし社会復帰する日があれば、看護と看護婦が大切にされ、看護婦が日々生き甲斐に満ちて働けるような社会を作ることに微力を捧げたいと願ったものです。

発起人の背後には、たくさんの方々の「看護の日」を願っての環がございます。場合によっては署名集めも可能となっております。この会は、看護職の方々をバックアップするためのものでもありますので、看護職以外の医療者と市民の集まりといたしました。

以上
平成2年8月8日