看護実践情報

患者・家族の暴言・暴力

倫理的問題の概要

「対人援助職として働く医療従事者は、職場で暴力を受けやすい労働者である」と国際労働機関(ILO)が指摘して以来、医療現場における暴力は社会的な問題として認識されるようになった。このような流れの中で、暴力予防のためのガイドラインや対応マニュアルの整備が進み、国際看護師協会(ICN)によって「職場における暴力対策ガイドライン“Guidelines on coping with violence in the workplace”(1999年)」が、また、日本看護協会によって「保健医療福祉施設における暴力対策指針 −看護者のために− (2006年)」が作成された。それらを基盤に、各施設の実情に対応した独自の暴力対応マニュアルや対策委員会等が設置されるようになり、一部では組織的な暴力予防の取り組みが功を奏した事例の紹介もみられるようになった。
しかし、そういった事例は一部であり、患者・家族からの暴言・暴力が水面下に数多く存在している。患者・家族からの暴言・暴力に直面した看護職が、それを暴言・暴力と認識せずにやり過ごしてしまうことや、暴言・暴力を受けた看護職自身に非があったと思い込んでしまうこと、公にしたくても周囲からの理解が得られないのではないかといった諦め等がある。これらは、患者は弱者で、看護職は患者を守るべき存在といった固定観念ともいえる価値観や、患者に対して怒りや不満をもってはいけないといった感情規制などによるものであり、看護職自身の労働者としての権利が阻まれる状況を作り出している。患者・家族−看護職双方の基本的人権が尊重されなければならないはずなのに、看護職自身の安全と健康が守られず、安心して働く権利が脅かされていることもある。
さらに、患者・家族の権利者意識が高まる中、医療者への要求水準も上がり、それが到底受け入れられないような不当要求やクレームに進展することもある。不当要求やクレームの背景には、患者・家族の不安や怒りがあり、特に日常的に関わる看護職に対して表出されることが多い。クレームは業務改善のきっかけになりうるもので、適切に対応すれば,より良い医療や看護に結びつく。その反面、道理に反したクレームへの対応は、看護職のストレスを高め、うまくクレームに対応できなければ攻撃性が増すのではないかといった不安や恐怖を引き起こし、患者−看護職関係にも悪影響を及ぼす。看護職は常に、専門的知識に基づいた判断によって看護を実践していく専門職であるが、クレームに怯え、不安や恐怖に支配された状況では、看護職の自律性が損なわれるだけでなく、専門職としての役割を果たすこと自体が困難になる。自分たちの権利を脇に置いて患者・家族の権利や主張だけを尊重するのではなく、双方の人権が尊重されるような方策を検討していくことが重要である。

考えられる方策

患者・家族からの暴言・暴力の実際と、暴言・暴力がなぜ起こっているのかを正確に把握し、正しい対応策を考え、身につけることが重要である。暴言・暴力は、何らかの理由があって生ずるものである。まずその原因を探索した上で、正しい対応策を考え、とることが暴力や暴言を予防することにつながる。暴力の原因は大きく次のように分類できる。

  • 疾患等により責任能力がないと思われるケース

    認知機能障害(認知症や精神障害など)がある場合、突発的な暴言や暴力が生じやすい。状況を正しく認知できないために強い不安や恐怖を感じ、暴言や暴力に至ると思われるが、それには、患者の個別性を考慮した看護職の対応や、環境調整が必要となる。

  • 何らかのストレスがきっかけとなり、不安や焦燥感が高まるなど、心理的な要因が大きいと思われるケース

    予期しない入院や手術などは計り知れないストレスとなり得るもので、さまざまな心理的葛藤の原因となる。葛藤がうまく処理できず、不安やイライラした気持ちが強まり、暴言や暴力に発展することもある。どのような不安があるのだろうか、なぜイライラしているのだろうか、というように、心理的要因に目を向け、暴言や暴力の根本的な原因を探索する必要がある。

  • 個人のパーソナリティ上の問題が大きいと思われるケース

    疾患や心理的要因などの理由がない場合、暴言・暴力の原因として個人のパーソナリティ上の問題が考えられる。この場合、暴言・暴力は立場の弱い若い看護職に向けられ、徐々にエスカレートしたりと、悪質さが伺われる状況が多い。これには組織的な対応が求められる。現場だけで問題を抱え込まず、組織だった対応を検討する必要があり、そのためには、警備員や法律専門家などを常駐させる専門部署の開設などが考えられる。

このような対応策の基盤には、組織全体で医療従事者の安全確保に取り組む明確な姿勢や、看護職自身が自分の安全や人権を守ろうとする姿勢が求められる。

  1. 組織全体で医療従事者の安全確保に取り組む姿勢

    暴力予防には、組織において医療従事者や患者双方の安全を確保する体制を作り上げていくことが必須であり、看護職も積極的に参画していくことが重要である。暴力予防に対する組織的な対応には、組織の暴言・暴力に対する方針の表明や緊急時の連絡体制の整備、被害者に対する支援体制の整備などが含まれている。さらに、これらの組織的整備等を実際に活用できるように、職員に周知する方策や研修機会などを設けることも重要となる。
    実際に患者・家族からの暴言・暴力に遭遇する看護職自身が、このような組織的な取り組みに参画していくことで、より現場の状況を反映した対策が整備でき、ひいては看護職にとってのより安全な職場環境づくりになりうる。看護職がその責務にふさわしい処遇を得て看護を行うことができるように、安全が保障された職場環境を整えることは、看護管理者の役割でもある。

  2. 看護職自身が自分の安全や人権を護ろうとする姿勢

    看護職は、専門職として自身の健康問題にも関心を持つ必要があり、それは安全に関しても同様である。そのためには、安全に対する意識を高め、患者・家族からの暴言・暴力に対峙した時の対処法や暴力予防に関する知識を身につけておくことが必要である。また、看護職自身も基本的人権をもつ人間であり、暴言や暴力によってその人権が脅かされているという状況を正しく認識しておかなければならない。看護職は患者・家族の人権擁護者であると同時に、自身の人権も守られるべき存在であるということを忘れてはならない。
    ここでは、看護職が患者・家族から受ける暴言・暴力・クレームに伴う倫理的な問題を取り上げたが、医療現場にはそれ以外にも、医療従事者同士の暴言・暴力、上司と部下という関係性の中で発生するパワーハラスメント、医療従事者による患者虐待など、暴力に関連した倫理的な問題が様々な形で存在する。このような倫理的問題を敏感に察知し、看護師としてどのような行動をとることができるのか、常に考えていくことが重要である。

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