東日本大震災復興支援事業

被災した看護職への支援

日本看護協会では、自らも被災された看護職の方への支援活動を続けています。2012年6月7日には、リフレッシュ支援事業として、全国職能別交流集会に岩手県・宮城県・福島県から119人をご招待しました。その後の懇親会では、本会役員・地区理事、職能委員が合流し、総勢約210人で食事と語らいの一時を持ちました。

「協会ニュース」連載: 被災地の看護職たち明日に向かって、ともに歩もう!

「協会ニュース」2012年6月号から隔月で、自ら被災しながらも、被災地の地域医療・看護を支えてきた看護職たち、本会の復興支援の取り組みを紹介します。多くの困難を乗り越えてきた皆さん、明日に向かって、ともに歩んでいきましょう。

【第4回(2012年12月号)南相馬市立総合病院(福島県南相馬市)】

病床数:230床(現在150床運用)
看護職員数:震災前138人、2012年11月現在114人
平均在院日数:14日
看護配置:10対1

愛知県の助産師、福島へ

 「私に何かできることはないだろうか」。
2011年3月、東日本沿岸部は未曾有の大震災に見舞われた。被災地の映像が繰り返し流れるたび、愛知県在住の助産師、野田みや子さんは胸が締めつけられた。災害支援ナースに登録したが、調整がつかず、派遣は実現しなかった。

それから1年が経過した。福島県の深刻な看護職不足を知り「今度こそ私が行く番」と、勤務していた名古屋市内の病院を退職。愛知県看護協会の助産師職能委員長でもあったことから、県協会会長を通して福島県ナースセンターと調整を進め、2012年9月、南相馬市立総合病院の林薫看護部長との面接を経て、支援が決定。10月から同院の産婦人科病棟に勤務している。愛知県での仕事もあるため、臨時の雇用という扱いで週3〜4日、3月までの予定だ。夫から反対されたが助産師として福島県の役に立ちたいと説得した。

午前中は助産師外来のようなかたちで妊婦健診、計測、母乳フォロー、午後は病棟で、赤ちゃんや産婦のケアなどを行う。震災前は月に平均20件あった出産件数は半分程度になり、7人いた助産師も、退職や産休により5人に減少した。現在は、近隣の公立病院の産科病棟が閉鎖されたため、出向してきた若い助産師2人と、野田さんを含めた計8人の助産師で産科病棟と外来を担う。野田さんは、出向の2人をはじめとするスタッフの相談役なども担っている。

病棟師長の永野真弓さんは「野田さんから、当院の母乳育児指導は全国でも高水準だと言われ、そんな評価をされたことがなかったので、皆、感激して、モチベーションが上がりました」と話す。産婦人科の安部宏医師も「職員の負担が軽減された。助かっている」と信頼を寄せる。

全国の看護職に支援をつなげたい

住まいは南相馬市が提供した市営住宅。電化製品や家具は設置済みで光熱費や食費のみ自己負担だ。野田さんは、自分のような他県に住む看護職が相双地域へ支援に入るための条件として、住宅や生活環境の確保が重要な要素であることに加え、他県からの支援者が働きやすい病院内の環境も大切だと実感したという。「この病院は、支援に来て良かったと思わせる雰囲気がありました」。

県協会の仕事などで愛知県の自宅に戻るときは、仙台でバスを乗り継ぎ、片道11時間かかる。それでも生き生きと南相馬との往復をこなしている野田さん。「夫が『自分も福島にボランティアに行くことにしたよ』と言葉を掛けてくれました」と笑顔で話す。「福島県の看護職のレスパイトになれたら、という思いでやっています。全国の看護職や潜在看護師が『自分にもできるかも』と相双地域の医療施設に来てくれるとうれしいです」。

林看護部長は「当院では認定看護師2人を置くなど、看護の質の向上に努めています。しかし、人材不足の現況では夜勤もぎりぎりの状態で職員が疲弊しています。ぜひ支援をつなげてほしいです」と訴えた。
※福島県への支援をお考えの方は福島県ナースセンターへTEL:024-934-0500

【第3回(2012年10月号)あおい訪問看護ステーション(宮城県)】

事業内容:訪問看護、居宅介護支援
事業所: 2カ所
( あおい訪問看護ステーション/仙台市若林区、あおい訪問看護ステーション富谷/黒川郡富谷町)
職員数:< 2事業所合計> 18人
看護職11人、理学療法士1人、介護支援専門員2 人、事務4 人
利用者数:< 2 事業所合計>
126人(2012年9月時点)

事業所ギリギリまで押し寄せた津波

有限会社あおい訪問看護ステーション代表取締役の小野久恵さんは、2002年に仙台市若林区、04年には黒川郡富谷町に訪問看護ステーションを立ち上げ、地域の在宅看護を支えてきた。東日本大震災では、沿岸部から5キロ離れている若林区の同ステーション付近まで、津波が到達したという。翌日から利用者の安否確認、近辺の避難所の見回りを開始。ライフラインが途切れた状況で、通信手段として一番役に立ったのはラジオだった。

国からさまざまな通知が発出されたが、停電中でインターネットが使用できない状況だったのにもかかわらず、「詳しくはホームページを」と示されていたことにいら立ちを覚えた。こうした経験から、小野さんは、日本看護協会などの医療系団体による、災害時臨時FMの開局を望んでいる。医療機関に必要な情報を繰り返し放送することで、どれだけ施設が助かるか痛感したからだ。

深刻なガソリン不足には、移動用に自転車を3台購入した。その後も訪問看護ステーションは緊急車両として優先給油が認められず、悔しい思いもした。ガソリンスタンドと個別に交渉し、やっと認めてもらえた。避難所では、本会の災害支援ナースが活動し、頼もしかったが、3泊4日の派遣で交代となるため、小野さんらがつなぎ役となるよう努めた。

頭を悩ませたのが、被害状況調査への対応だ。本会だけでなく、宮城県看護協会、日本訪問看護財団、全国訪問看護事業協会、厚生労働省、宮城県、仙台市と、それぞれ重複した内容の協力依頼があった。「精いっぱい、誠実に回答しましたが、正直、負担でした。せめて看護系だけでも一本化できないものでしょうか」と、心情を吐露する。

明日に向かって―地域の連携、新人教育の充実を

震災を経験して、小野さんは「一事業所だけのがんばりだけでは限界がある」と話す。非常時、訪問看護ステーション同士が普段の担当地域を超えて、業務を補い合えるような関係づくりや、医療福祉の連携はもちろん、行政の保健師、民生委員なども加わったネットワークの構築を提唱している。同ステーションでは、知己の医師の厚意で、診療所の地下室で酸素ボンベをストックさせてもらい、ステーションでも点滴をストックするなどの動きも始まった。

新人教育プログラムの充実も今後の目標の一つ。両事業所内で質向上委員会を設け、退職してブランクの長い人や訪問看護の経験がない人でも、3 カ月で訪問看護師として一人前に働けるよう育成中。「災害時にも対応できるように育てるのが最終目標」と前向きだ。

訪問看護の帰り、甚大な被害のあった沿岸部地域の利用者住居跡を訪れた。すべてが津波で流され、雑草が生い茂る中、供養も兼ねて時折、立ち寄るのだそうだ。「事業所の高台移転を勧めてくださる方もいます。でもできませんね。この地で地元の人に助けてもらって、今の私たちがあるのですから」。静かに手を合わせた後、小野さんはまぶしそうに海を眺めた。

【第2回(2012年8月号)栄村役場(長野県)】

入職2年目の保健師が地震に遭遇

長野県栄村は人口2,216人、901世帯、高齢化率45.7%。県最北端、新潟県との境に位置する日本有数の豪雪地帯だ。この小さな村が、震度6強の地震の震源となった。

3月12日、午前3時59分。住民福祉課健康増進係の保健師、森川智佳子さん(25 歳)は下から突き上げられるような振動を感じた。震源の深さ8km、マグニチュード6.7の直下型地震だった。すぐに村役場に出勤しようとしたが、雪崩で地滑りが起き村道が塞がれ、車を出すことができなかった。同地区の職員の車で役場に到着したときは、一部の地区を除く804世帯2,042人に避難指示が出され、村内7 カ所に避難所が設置された。10人が負傷し、約200棟が全・半壊、479棟が一部損壊する大被害となった。その後、3人が死亡し、災害関連死と認定された。

栄村の保健師は3人体制。当時、森川さんは入職してまだ2年目だったが、ベテラン保健師とともに各避難所を巡回し、交代で避難所や村役場に宿直した。やがて心強い援軍が駆け付けてくれた。県の保健師が避難所に24時間常駐し、健康相談に応じた。北信保健所管内の保健師や、長野県在宅看護職の会も、避難所の健康相談や家庭訪問を開始した。

ようやく保健師の通常業務を再開できたのが、約3週間後の4月1日。地震直後から村役場の職員たちは不眠不休で対応し、疲労は極限まで達していた。「住民の皆さんはもちろんですが、職員たちの健康を守るのも私たちの仕事です。それが十分にできなかった。大きな反省課題です」。

避難所や仮設住宅での健康支援

被災住民の健康課題も、時とともに変わる。避難所生活では、東北沿岸部と違い、周囲から食料など物資の支援は恵まれていたが、農地に亀裂が入るなどしたため、農作業ができず「何もすることがない」と嘆く高齢者も多かった。運動不足から生じるエコノミー症候群や体重増加、便秘などの症状も見られたという。また、避難所はプライバシーが守られない。人に見られたくないからとインスリン注射を自己判断で中断した人もいた。

今なお、仮設住宅で暮らす村民のうち、半数近くが65歳以上の高齢者だ。森川さんたちは月に1度の訪問で、健康相談や血圧測定などをするほか、仕事の合間を縫って、訪問する時間を作るよう心掛けている。熱中症予防に寒暖計を配布するなどして回り、声を掛ける。

栄村で生まれ育った森川さんは、高校生のころから村民の健康を支える保健師になるのが夢だった。今もその思いは変わらない。「栄村は、四季折々の自然や温泉に恵まれた美しいところです。たくさんの人に観光に訪れてほしい」と復興に向けて歩むふるさとを支え続けている。

【第1回(2012年6月号)】

看護職対策と今後の支援について議論

5月30日、「第1 回東日本大震災被災3県の看護職確保支援のための合同会議」がJNA ホールで開催され、本会からは小川忍、井伊久美子、福井トシ子の各常任理事が出席しました。また、オブザーバーとして厚生労働省医政局看護課より4人が参加しました。

岩手県、宮城県、福島県看護協会の役員やナースセンター職員が、各県の医療機関・福祉施設などでの看護職員数の増減や、ナースセンター・行政における看護職確保支援の現状、看護師学校養成所や新卒者の状況について発表。「沿岸部は、もともと看護職員の確保が困難。震災でさらに看護体制の維持が厳しくなった」(岩手・宮城)、「避難せず、人員不足の過酷な労働環境下で、県内に留まり頑張る看護職に、直接的なインセンティブがほしい」(福島)といった意見が寄せられました。長期に支援できる人材と、その住居の確保といった生活基盤の整備、ナースセンターのマンパワー不足対策も課題として挙げられています。

井伊理事は「看護職確保対策は、これまで病院が中心だったが、地域や在宅を外すことはできない。これからは、地域に密着した、その後も地域の資源となる看護職確保対策を考えていきたい」と結びました。

被災した看護職のためのリフレッシュ懇親会

6月7日には、千葉市内のホテルで「被災した看護職のためのリフレッシュ懇親会」が開催され、岩手県30人、宮城県49人、福島県40人の計119人が参加。これは、日本看護協会の東日本大震災復興支援事業として、被災地の看護職を会員・非会員問わず、全国職能別交流集会に招待したものです。

本会の坂本すが会長は「今日は皆さんの笑顔に会えて安心しました。当時を思うと涙を抑えられません。大丈夫、私たちが付いています。前を向いて進みましょう」とあいさつしました。続いて、兼田昭子会長(岩手)、上田笑子会長(宮城)、高橋京子会長(福島)が、震災後の1 年を振り返り、被災地の看護職たちの頑張りをねぎらうとともに、本会の災害支援ナース派遣や支援活動に感謝の意を述べました。

日本声楽家協会ソプラノ歌手の京島麗香さんによる歌と音楽の夕べでは、参加者全員で『上を向いて歩こう』を合唱。参加した看護職からは「思いはみな同じ。復興に向けて頑張っているところです」「看護協会の支援に感謝しています。会員でいて良かった」といった感想が語られました。

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