

5月9日に開催した「看護フォーラム」で、「感動看護」エピソードの優秀作品の 発表と表彰式を行いました。当日は特別審査員の内館牧子さんからビデオレター での講評をいただきました。
内館牧子でございます。
今日は、是非参加したかったんですけれども、どうしても都合がつかなくて本当に残念です。でも、こうしてビデオレターで講評をお伝えでき、また私が入院中に感じた看護師さんへの思い、それをお届けできることを幸せに思っています。
今回のエピソードですが、実に1,603通も集まりました。
最優秀賞は「感動のスキップ」でした。山口さんは男性看護師さんだそうですが、この「感動のスキップ」は大変に構成がうまくて、まず冒頭から一気に読ませて、
中間でも山を作り、そして最後にきちんと落ちをつけている。文章も非常にうまかったですね。看護師は大変な仕事ですから、山口さんは「辞めようと思ったことはないですか?」と言われることも多く、でもそのたびに、彼はこの時の思いをよみがえらせて、「一生を左右する患者との接点があるんだから、辞められるわけないよな」と思った、という大変に見事な文章でした。
おそらく私は、昨年までだったらこんなふうに、看護師を身近に考えられなかったと思います。ところが突然、盛岡で、急性の心臓病で倒れました。救急車で搬送され、緊急手術を受け、入院しました。
その時、看護師という仕事は、技術と、それから能力と、さらには気配りまで要求されるのだと実感させられました。
私は看護師という仕事の難しさと重要性を、もっともっとみんなにわかってもらわなければならないと考えています。実際に私は、看護師さんがいなかったら今こんなに元気になってなかった。それは間違いありません。
ですから、今回そのご恩返しもかねて、応募作を丁寧に読ませていただきました。
これほどのエピソードが集まったということからも、看護師という仕事はいかにやりがいがあって、一生できて、 なおかつ何よりも大事なのは、人のためになるか、ということがわかると思います。そんな条件をすべて満たす 仕事は、なかなかありません。大変なことは確かですが、「それはやりがいにつながるんだ」ということで腹を 決めて、是非患者を救う看護師さんになって欲しいと、私は実体験から願っています。
【敬称略】
| 入賞名 | 氏名 | 題名 |
|---|---|---|
| 最優秀賞 | 山口 義美 | 感動のスキップ |
| 優秀賞 | 高橋 和美 | 優しい瞳 |
| 堀井 紀明 | 精神科病棟での一日 | |
| 田上 幸子 | 言葉ぐすり | |
| 入選 | 村山 和子 | 病室での卒業式 |
| 吉川 宣治 | 人生の岐路(運命の出会い) | |
| 田中 直美 | 天国にいるあの人へ有り難うと伝えたい | |
| 小野田佳代 | 白衣の天使 | |
| 阿部 有美 | 私の支えとなっている大切な看護場面 | |
| 大内千恵子 | 生きる意味、そして死ぬ意味 〜どうして、Babyを抱かないの?〜 | |
| 関口眞知子 | A君が教えてくれた大切なこと | |
| 千葉千恵子 | 待っててくれた しんちゃん | |
| 岡本 嘉子 | 嬉しい誤算 | |
| 益田 弥生 | 私の看護の原点と戒めの日 | |
| 山アみゆき | 20年目の再会 | |
| 宮ア 純子 | キューピーの笑顔 | |
| 今里百合子 | 母親 | |
| 飯田 智子 | 見えない贈り物 | |
| 野矢美砂緒 | ひとつになる事のすばらしさ〜癌が残してくれたもの〜 | |
| 小西 敦子 | 花嫁が病院にやってきた |
「やめようと思ったことないですか?」。後輩に聞かれると、必ず話すエピソードがあります。
その子との出会いは、私が救命センターで研修していた3年目でした。「6歳男児、意識レベル清明。交通外傷右足に挫滅創」。右下肢切断を余儀なくされました。
手術前日、消灯後も布団にくるまりずっと泣いていたその子の頭を、私は時間の許すまで撫でてあげることしかできませんでした。手術後は小児科へ転棟したこともあり、その子が片足になることをどう受け止めて、どう過ごしたかを私は知ることもなく、救命センターの業務に没頭する日々が続きました。
それから2カ月ほど経った頃です。20メートルくらいの一直線の廊下に、小児科の看護師と手をつないで立っている男の子の姿が目に入ってきました。「どうしたの」と私は思わず声を掛けました。他に義足のこと、リハビリのこと、聞きたいことはたくさんありました。
「見て」。男の子は右足の長ズボンの裾をめくり上げると、紫のメタリックの輝いた義足が映りました。誇らしげに、私に「かっこいいでしょ」と言いました。「仮面ライダーみたいだ、強そうだね」と返します。
「ねえ、もう一つ見せたいものがあるんでしょ?」と小児科の看護師が促すと、「え〜。まだうまくできないけど……笑わないでね」と照れくさそうにうつむきます。と同時に私の目に入ってきたのは、右足の義足をガチャガチャと音を立てながら、それでも前に足を運んで行く、不器用な、本当に不器用で感動的なスキップでした。「やっぱ、まだうまくできないや」と照れ笑いするその子に「おまえ……すごいよ!」私たちは涙が止まりませんでした。その子への思いを通じて、病棟を超えて感動を分かち合えたことが、私の看護の仕事に対する不全感をすべて洗い流してくれた……。
これからも伝えます。「そんな仲間と、一生を左右する患者との出会いがある職業を、面白くてやめられるわけないじゃないか」と。
看護学校を卒業し就職したのは、民間の老人病院でした。そこを選んだ理由は、肺がんを患っていた祖母が入院していて毎日会えるからでした。
私が配属されたのは、長期入院している高齢患者さんが多い病棟で、認知症や寝たきりの人が主でした。
その病棟に勤務して3カ月が過ぎた頃、1人の患者さんとの出会いがありました。Mさん、60歳代後半の女性。大腸がんの末期でした。Mさんは定期的に採血をしていました。
ある日、見習いから独り立ちしたばかりの私に、Mさんの受け持ちとなる日がきました。新人の私はマニュアル通り、Mさんに説明して採血の準備をしました。駆血帯を締め、血管を探し、穿刺しました。前腕や手背に3回も失敗してしまいました。Mさんは痛みをじっと我慢してくれていたのですが、Mさんに申し訳なく思い「他の人に代わってもらいます」と部屋を出ようとする私の背中に「あなたがやりなさい」と、低い小さな声が聞こえました。振り向くとMさんが優しい瞳で私を見ていました。自分の手技の未熟さとMさんの痛みを思い、涙が溢れました。Mさんはもう一度「あなたがやりなさい」と青白い生気のない顔で微笑みました。なかなかうまくいかず何度も謝罪する私に、Mさんは何も言わず頷くだけでした。それから何度かMさんの受け持ちになりました。身の回りのお手伝いはさせて貰ったのですが、Mさんから苦痛や不安などの訴えは聞かれませんでした。その時の私は「Mさんは我慢強い方だなあ」と思っていました。Mさんが私に苦痛や不安を語ってくれたとしても、私に何が出来たのでしょうか。それに対応できるはずもありませんでした。
後になって、Mさんが看護師だったことを知りました。患者さんとして、看護師の大先輩として、Mさんは私に多くのことを教えてくれました。あれから20年が過ぎましたが、この1日は今でも昨日のことのように思います。
長年担当した患者のAさんが退院するある日、急に入院が入った。入院してきた患者さんは、急ぎの処置が多く、手がかかりそうだ。「Aさんが退院するので見送りさせてください」とは絶対に言える雰囲気ではなかった。
お昼を過ぎた頃、Aさんが荷物をまとめ始めた。と同時に、先輩看護師が僕を呼び出し「コレを検査室に届けろ」と封筒を手渡してくる。検査室は建物が別でとても遠い。届けていたら、その間にきっとAさんは退院してしまうだろう。本当は嫌だったが、目の前の患者さんのためにと思い封筒を預かった。しぶしぶ検査室に向かっていると、封筒の中身が空っぽなことに気付く。階段の前で封筒をよく確かめてみると、「Aさんが退院する日だろ。駐車場に行って来い」と裏面に書かれていた。
就職して数年、仕事をしていて初めて涙が溢れた。駐車場に急ぎしばらくすると、家族に付き添われたAさんが見えた。また涙が溢れた。Aさんも泣いて喜んでくれた。
ぶっきらぼうな先輩をあまり好きではなかったが、今では心底尊敬している。すばらしい先輩と一緒に仕事をしていると気づかせてくれたこの日。今日はとてもいい日だ。
出産での入院以外に一度だけ入院したことがある。看護師になって5年目のこと、風邪をこじらせて肺炎になり、自分が勤務する病棟に“看護師患者(?)”として入院したのだ。肺炎の症状も治療も看護も、知識としてはわかっていても、“誰かの肺炎”と“自分の肺炎”では勝手が違っていた。入院後も熱は落ち着かず、咳は止まらず、胸の奥が苦しい。日中は腕につながれた点滴の瓶をぼんやり見つめながらウトウトしていることが多かったが、夜になると、言いようのない不安と心細さで胸がいっぱいになった。毎晩、消灯の時間とともに涙が出てきた。それまでは患者の心に寄り添い、励ましていたつもりだったのに、いざ自分で自分を励ますとなると、情けないことに日頃の経験は何の役にも立たないのであった。
そんなある日の午後、いつものようにウトウト目を覚まし、傍らの床頭台に何気なく目をやると、コスモスの花。ジュースの空き瓶にひと握りのコスモスが、細く開けた窓から風にかすかに揺れていた。ぼんやり眺めていると、小さなノックの音の後に患者のYさんの顔がのぞいていた。「病院の庭に咲いていたのよ」と。続けて私の心を見透かすかのように「大丈夫だよ。若いんだからじきに治るよ」。Yさんの言葉に、注射や飲み薬の他に“言葉ぐすり”があったことを私は思い出した。目で見て手に取って確かめることはできないけれど、耳で聞き、弱った心によく効くという薬だ。
何とも頼りない“看護師患者”の私は、祖母のような年齢のYさんの“言葉ぐすり”がきっかけとなって少しずつ心と体の元気を取り戻した。3週間の入院生活の場は、私が看護学校で学んだ3年と5年の看護師経験に負けない学校であった。あれから25年が過ぎた。毎年コスモスの季節になるとYさんの優しいお顔と言葉を思い出し、看護師としての心の原点に今一度戻る私である。